つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

早池峰の風

あああ、なぜだ~(汗)一度きちんと書いて投稿した文章が消えてしまった(汗)時間かかったのにもう一度書けということかしら。しくしく。

とにもかくにもサイトの方は冬の壁紙ができまして、アップしております。すこしずつできることから進めていかねば。

昨夜はNHKの「家族に乾杯」という番組で、知り合いのご家族にお会いできました。もしかしたら…と、期待していたら、ばっちり写っていたわけで…お元気そうでなによりでした、Iさん。ああいうぶっつけ本番のふれあい旅番組は味があっていいなあ。下手なタレントさんよりも素人さんの方が面白かったりして…(笑)

   ……………

11月28日になったので、今日中に厄除けを新しくしなければ。この厄除けについては前にも書いたことがあるけれど、改めてもう一度。

宜保愛子さんが生前にテレビ番組の中で紹介してらした、簡単な厄除けの方法。

小さなお皿にひとつまみの塩を入れ、その上に家族がそれぞれ自分の年の数だけ米粒を入れる。それをトイレの窓などに置き(なぜトイレがいいかというと、家族全員が使う場所だから)1年たったら、中身は窓から遠くに捨て、お皿も処分する。そしてまた新しいものを作る。

うちは去年もこれをやったのだが、今年のお皿には誰も触らないのになぜだかヒビが入りはじめ、今ではふたつに割れる寸前になっている。これは誰かの厄を身替わりにかぶってくれたということなのだろうか?

今年は夏に母が乳ガンで入院、手術をしたのだが、幸いに転移もなく理想的な治り方をした、ということで、その分の身替わりになってくれた可能性もある。

こういうことは精神的にはプラスに考えられるので、それなりに有意義なことではないだろうか。世の中の言い伝えは全部が全部迷信ではなくて、先人の知恵が生きているものも少なくないだろうし。

こういう民俗学的なものは実は結構好きだったりする。

高校生の時に、病気をしたのがきっかけで、「遠野物語」をはじめとする柳田国男の著作をひととおり読んだ。

遠野物語」は美しい日本語で、いまだに一節が暗唱出来るほど好きなのだけれど、それは文章だけではなくて、やはり淡々と語られている内容が印象的なんだよね。

単なる民話や昔話の域をはるかに越えた不思議な世界がさりげなく語られていたりする。それからずっと続けられてきた行事や、伝承についても。

科学的に見れば、そんなことはあるはずがない、と一部では割り切れたとしても、割り切れない不可思議な部分はまだたくさん残ってしまう。どうしてそういうものが大切に伝えられてきたのだろうか。それを考えるとそのささやかな物語を愛し、伝えてきたたくさんの人々のこころに思い到る。

戦争で中国にいるはずの息子が故郷の母の前に立つ。実はその時刻、息子の肉体は大陸にあって、死の世界を垣間見ている。千里を駆けた魂。

持病に苦しむ幼児に、亡くなるまぎわの祖母が語る「おばあちゃんがその病気を持っていってあげるから」…祖母の死後、その子供の病が本当に治ってしまう。

…そんなふうな話もある。

人々がそういう物語をなぜ大切にしたのか、説明は不要な気がする。いつの世になっても、そういう物語が棲めるこころの空間を残しておきたいと願う。

早池峰の風の音が聴こえる…。