昨日、一昨日、FacebookやTwitterで取り上げられて、非難の声が多かった、「廃棄される恵方巻きの売れ残り」問題。
…そう思う人は少なくないようです。なくそうよ。どうしてもやりたいなら完全予約分しか作って売らないとかすればいいです。チョコレートなら日持ちするけど、こういう生ものは駄目です。廃棄するくらいなら割引して売り尽くすか、もしくはお腹を空かせている人に差し入れサービスすればいいと思う。
コンビニのお弁当などはそもそも賞味期限の2時間前くらいには、もうレジを通らなくなってるんですよ。ご存知でしたか?まだまだ食べられるけど、売ってもらえないんです。スーパーだったら「今日中にお召し上がりください」と値引きして売られていますし、すぐに食べるならそれで充分なんですが、コンビニではそれが出来ないみたい。
それで無駄を出さないなら予約販売で充分です。
農業アイドル(?)のTOKIOはもっと怒っていいよ (^_^;)
バレンタインやホワイトデーが過ぎて安くなったチョコレートは時々私も買うよ (^_^) クリスマスケーキだっておおかたは予約制ですよね。少し残ったら翌日に販売されてるけど、あれでいいと思う。食べものを無駄にしてはいけません。私も具合が悪くてご飯が作れなくて、食材を無駄にしてしまう時ってやっぱり罪悪感を感じます。卵などは把って中身が乱れてなければ火を通して使いますが。(昔からの判断方ですね)
どの程度信頼出来るかわからないので、ソースは載せませんが、恵方巻きはもとは花街でのセクハラなお遊びがルーツだった、という話も聞きます。それが本当だとすると「行儀が悪くて下品」だと感じる食べ方にも納得出来ます。昔はああいうのはなかったです。行事として広まったのはそんなに昔ではありません。昔はもっと食べ物を大切にしていたからさ。
我が家では買ったこともないな。たとえ買ったとしてもちゃんと切って食べるなあ…。
ああいうものがわりと早い速度で広まるのは、やっぱり商売と一緒に盛り上げようとするマスコミ戦略でしょ。面白そう、だっていうから、みんながやってるから、だから自分も…となるのが日本人のパターンなんですよね。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な思考と行動がなんだか当たり前になっていて、それに疑問を持たなければすごく怖いです。「みんなと同じようにそういう行事を楽しむ」というのは子供が高校生くらいまでで充分だと思います。本当に昔からある伝統行事をきちんと伝えるのは大事なことですしね。
でも、結構ルーツないい加減な最近の行事はあえて乗っからない方が無難ではないかと思いますが…。どうも「みんなと同じにやらないと不安」という意識が染みついている感じで、どこか、会社なりの集団の中にいると、無言の同調圧力があるのは事実ですが(会社に限らず社会全体で)同調を求めてくる側がいつも正しいとはいえないのが問題なんですよね。でもその中に入ってしまうと、それに対して疑問を持ちづらくなって、そこで思考停止してしまうのが一番問題かもしれません。
「みんなと同じ」には行動しないとなりますと、どうなるかといえば、別にどうにもなりません。それこそアドラー先生が言う「嫌われる勇気」を持てばいいだけの話です。
自分が知る範囲の外で、もっと広い視野で自分と近い考え方をする人がいるかもしれないし、そもそも自分はあくまでも自分であって、他の誰とも同じではない存在です。だから無理に自分を殺してまわりと同調しようとすると、いろいろと精神や魂が悲鳴をあげるから、ストレスにもなるし、いろいろと生きづらい状況に追い込まれていくんですね。
まあ、そういう時代で、「個」としての「自分の生き方」を貫きづらい日本だから、アドラー心理学が注目されるのは悪くないことだと思います。知るのは容易いけど、昨日のパニック障害の対処法と同じで、頭での理解じゃなくて、身体での理解と実践で初めて生きてくるものですし、「本当の勇気」が必要なのはいうまでもありません。
でも覚悟を決めて踏み出してしまえば、180度違う世界も見えてきます。そこからは「人として何が正しいか」「なにが本当に必要なことか」おのずとわかってくるものもあります。まずは「自分自身」として立って、そこから改めて世界全体を見直す必要に迫られています。
心のどこかでみんなそれに気付いてる。だからアドラー心理学がこれほど注目されるのですね。是非とも勇気を持って実践してくださる人が増えて欲しいと願います。そうすることで、大切な食料も必要な人にきちんと行き渡るように、社会のシステムも見直されていくんだと思っています。
「なにか変だ」と思ったら、まず自分自身を振り返るチャンスです (^_^)