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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「人は死なない。ではどうする」

昨日は結局日記が描けませんでした。お絵描きの方を優先したために、その他のことをやる気力がなくなったからです (ーー;) 

まあ、それでもキャラの着色は完成したし、合間に(というか、Photoshopを開いているついでに)ペルソナも作れたからいいかなあ、と思っています。

希死念慮がなくなっても、まだまだ出来ないことの方が多くて、明日以降はまたしばらく買い出しの日々が続くのね、と思うと、それだけで具合が悪くなりそうですが…。

無理しないでぼちぼち行こうかなあ、と考えております。

どこかで美味しいパフェとか食べたいけど、近所にはそういうものが食べられる店もなくて寂しいです。かといって、駅前辺りに出るのはまだ無理だと思うので。

時々マンションのちらしとか見ていますと、数件のスーパーや大型家電の店や業務スーパーブックオフまで徒歩数分のところにある、という、非常に便利な立地条件の物件があって、そういうのを見るとすごく羨ましく思ってしまいます。3〜40年昔にはうちの近所もそれなりに便利な土地だったんですが…。これも時の流れだなあ…。

 で、こういう本を読みました。以前、矢作先生の「人は死なない」という本を読んで、「摂理」という考え方に共感を抱きまして、その延長というか、気功の達人である中先生との対談になっております。

いまの私にはすんなり納得出来る内容です。

「みんな他人は死んでも自分だけは死なないと思っているのが現代」だとすると、最も「死」に近く向き合っているのは終末期医療に携わる人たちや、介護家族と関係者、そしてうつ病の患者ではないかしら、と思うのですね。

それらの人間は日常の中のすぐ隣に死が存在するから、それを無視することは出来ないし、否応無しにそれについて考えざるを得なくなりますね。

そう思うと、終末期医療に携わるのは無理としても、在宅介護と病気のために考えざるをえない機会に恵まれたというのは幸福なことではないだろうか、と思います。

事実私自身は「死」そのものは怖いとは思いませんし、希死念慮が強くても、「まだ定命が尽きていない」という自覚がどこかになって、だから自ら死に至ることはないような気がします。

結局「死を考える」ことはすなわち「生を考える」ことと同じなんだなあ。

ふと思い出したのは、若い頃のことです。20代ですね。

私もなんとなく独学で本を読んで、見様見まねでヨガと気功をかじったことがありました。どちらも呼吸法なんですが。「気」のボールを作って遊ぶのは純粋に面白かったですが。素人にはそれくらいしか無理で、それ以上は指導者の必要性を感じたので諦めました。

わりと同時期に太極拳を始めた友人もいて、いまだにずっと続けて指導者に近くなっていたりするようですが…。

私の場合、ヨガと気功を齧った名残は、腹式呼吸になって残っております。

この無意識の腹式呼吸はわりと身体にいいようで、この10年以上風邪も引かずに済んでいます。そういうプラスの結果として残ったんだから、やはり無駄な経験ではないようですね (^_^;)

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