たまたま見つけて、非常に可愛かったので、貼ってみます。ニャンコ先生のgifアニメ (^_^;)
…すいません。ただそれだけなんですが…。
http://livedoor.blogimg.jp/nipi090/imgs/0/7/0741506a.gif
こちらにも癒され画像がたくさんあります (^_^;)
全部ニャンコ先生♪
http://blog.livedoor.jp/nipi090/archives/51293178.html
私自身があんまり安定してなくて、食べるものにすら悩む時期があったりすると、やはりペットなどの命を預かることは無理なんじゃないかな…、と、どうにも自信が持てないもので、実際に生きている動物には手が出せないというか、そういう感じなので…。
実は今朝起きて見たら、なんだかまたうつ傾向に傾きつつあるのを感じました。
数日は軽躁状態だったんですけどね。「眠れない」という時期は幸せだったのかもしれません。
もっともまだうつの方もそんなにひどくはありませんが…。
この変化って、特別に理由がなくても勝手に起きるみたいですね…。自分でもなにがきっかけか不明のことがほとんどですし… (ーー;)
まあ、それがコントロール不可だから病気なんだろうけど…。
私が「軽躁」だと感じている状況が、ごくごく普通の人の普通の状態なんだなあ…。死にたいと感じることもなく、食べたいと感じるものもごく普通にあって、やりたいと思えることがあって…。なんだか私自身はそういうことってものすごく昔に置いてきて忘れてしまったような気がするなあ…。双極性Ⅱ型障害ってなんという理不尽な病気なんだろうか、と思ってしまいますね。
一旦発病してしまうと、寛解はあっても完治はないみたいだし、それもなかなか受け容れ難い病気であるのも事実です。
世間が連休で多くの人があちこちに遊びに行くのも羨ましいな、と感じてしまうと逆に症状が重くなりますし…。でも自分が元気だった頃はそういうことにも気付かずにいたんだよね。
人間、自分自身の身に降りかからないと実感出来ないことが多々ありますね。特に障害や病気や極度な貧困などもそうじゃないかなあ、と思います。
その意味では現実に体験するということは非常に意味があることだとも思えますが。マイナスに思える体験をいかにしてプラスになる学びと変えていくのかが、その人生における魂の修養なんだなあ、きっと。
そういえば。
昨日の介護に関わることで思い出しました。当時の記録のもろもろ、訪問入浴の記録とか、訪問看護の記録とかケアプランとか、そういう書類関係も全部捨てられなくて置いてあったりするんですよね (^_^;)
父が懸命に生きてきた証しであり、いかに多くの方々が親身に手助けしてくださったかの記録でもありますし、私たち家族が泣き笑いしてきたかの大切なメモでもありますしね。あの4年弱のあいだにいかに多くのことを学べたか、大変に重要な体験でもありました。
あの時期に得たものは、私にとっては学校で学ぶものよりも中身が濃くて有意義なことばかりでしたよ。
そういうふうに生きていると、あとになってからどーんと大きな魂の学びを得ることがあるので、それを忘れずに、うつの時期の希死念慮とつきあっていきたいと思います。やがてはもっとうまく病気と付き合えるようになることを期待しつつ…。