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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「楽しさ」がわからない…

 そろそろ雨も止みつつあるのかな?お昼までに止むのなら、ちょこっとコンビニくらい行ってもいいのかなあ、と思いつつ…。ぼーっとしております。

うつというほどにひどく落ち込んではいませんし、希死念慮もありません。わりと気分的にも落ち着いているように感じます。

…が、正直なところ、この先に何を楽しみとか励みにして生きていけばいいのか、実はよくわからない現状になっております。

元気な時は仕事とかお絵描き以外にも、音楽を聴いたり、もっといろいろな手作りだとか旅行だとか、時々は美術館に行ったりとか、お能の例会に行ったりとか、買い物したりとか、そういうふうな「ちょっとした楽しみ」が日常の中にたくさんあったんです。それだけに忙しかったけど、気持ちに見合う程度には身体も動けたんですよね。

でも現在は本当にお絵描きとPC作業と読書くらいしかやる気になることもなくて、それ以外の作業には手が出せなくなっています。

「やりたいかもしれない…」と、ふと思う時点ですでに身体が辛い、と感じるから、ますます萎縮してしまうというか… (ーー;)

世界のあちこちで、本当に辛い日々を送っておられる方々に、非常に申し訳ないと思いつつ、「ちゃんと楽しむ」ということも不可能になっています (ーー;)

 まあ、お絵描きはねえ、一番自分が落ち着くというか、満たされると感じるので、それがあるだけでも幸せだと思わないと、バチが当りますよね〜。

でもなあ…。たっぱりリアルな生活の中で、もっと思うように動けたら…とか、つい欲張ってしまうんだよなあ… (*-д-)-з

先日、引用させていただいたブログの中で、この箇所を読みますと、やっぱり私は双極性Ⅱ型かもしれない、と思いますね。

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カウンセラーこういちろうの雑記帳

http://kasega.way-nifty.com/nikki/2009/09/post-1dc4.html

以下、部分的に引用させていただきます。

 もし、あなたとその人の間に信頼の絆があれば、その人は、ほんとうにあなたに連絡を取りたい時には必ず連絡を取ってきます。

 そうした時に、その人に「きちんと」向きあって、まずは話をじっくりと聴く・・・まずはそのスタンスで十分なのです。

 少し元気が回復してから出ないと、返事の言葉を考えるのも億劫ということにもなります。ところが、鬱の人は、(ほんとうに重度に落ち込んだ段階を過ぎてしまうと)鬱のただ中でも、サービス精神旺盛なことが少なくない。

・・・・・少なくとも、このことは、本来ならば双極性2型障害と診断されるのがふさわしい人に関しては、ほぼ間違いがないことだろうと思います。

 双極II型の人たちの対人関係は、一度受け入れた人への個人的な信義は大事にし、見かけの気持ちの揺れやすさにもかかわらず、安定した絆を築きます。

 この点は、古典的なメランコリー型単極性うつ状態の人が、実は「個人」ではなくて組織や上司という「役割関係」への一般的な忠誠心がベースになっていて、実は誰に対しても同じように気を使い、同じように「申し訳ない」という罪責感感じる、ステレオタイプ化された対人スタイルを取るのとも異なります。

 逆に、ボーダーラインの人の、表層的で、同一の相手に対する価値の上げ下げが激しい不安定な対人関係様式とも異なることを、内海氏も著作の中で強調しています(p.163など)。

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別にサービス精神が旺盛なわけじゃないんです。

でも相手に心配かけると悪いから…とは、ついつい考えてしまって、だからブログを休む時も「休みます」報告をしてしまったり、妙に律義なところはあるなあ、と自分でも思うんですね。

こういう几帳面な性格も良くないのかもしれませんが、これは変われません (ーー;)

この部分ではやはり指摘がそのままなのかなあ?と思えますね。

いずれにしても、今日明日にこの本の実物が届く予定なので、じっくり読みたいと思っております。

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