英語力については父の方がずっと堪能だったなあ…。
父は1930年生まれなので、終戦の年には15歳ですね。アメリカ映画を観て、カルチャーショックを受けた世代です。「こんな大国と戦争して勝てるわけがない」と思ったそうですし。
で、そのまま映画ファンになりまして、映画青年になって、進駐軍の関係の場所に出入りしつつ、英語を学んだそうです。
いつしか父にとってのアメリカは憧れの国になっていたみたいですね。
青年時代の音楽の友はプレスリーだったり、映画音楽だったり、もっぱら欧米のポップスだったりもしましたし…。
その後、会社員になってからは普通のエンジニアでしたが、海外出張もしばしばありまして、やはり一番多く行ったのがアメリカでした。自炊滞在を2ヶ月くらいしていたこともあったかなあ…。それでも会話には不自由しなかったみたいですし、英語の書類も書いてたし、それなりに困ることは少なかったと思われます。
何度目かの仕事で、やっとハリウッドに行けた時の、非常に嬉しそうな写真が残っています。 あと、スミソニアン博物館とかもね。
父にとっては「好き」がパワーになったのかなあ?と思えるケースですね。
少なくとも私よりはずっと語学のセンスは良かったみたいです。思い出しても非常に羨ましいですが…。