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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

たからもの

必要に迫られて、否応無しに介護の手順とツボが身についてきたような気がするこのごろの私です。でもやっぱり一番しんどいのは入浴を除けばおむつ交換だなあ…。特に病人のおなかの調子を管理しつつ、というのもなかなかに難しいかも…。嶺

私は自分がおなかを壊していてもアイスクリームを食べたり、熱があってもお風呂に入ったり、わりと無茶っぽいことをしてしまうので、父にも大丈夫かなあ?と思って個型物を食べさせるのを急いでしまって、あげくに一日に5、6度も交換するはめになったりしています(汗)本当に難しいなあ。

今日はお風呂に入ろうとしていたら呼ばれて、うかつにも防水シーツまで汚してしまい、全部取り替えるはめに…(汗)これが専門の人でも大変だっていうくらいなので、汗たっぷりかきました(汗)で、お風呂から上がってきたと思ったら、またまた交換するはめに…。痩せたとはいえ、170センチ以上、70キロ以上ある父をベッドの上で動かすのはかなりしんどいんですよね(汗)おかげで今日もたっぷりとハードな肉体労働が出来ました(笑)秊

ぼちぼちとお絵描きもしていますが、本当にまとまった時間が取れなくて進みませんね(汗)怜

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 私はお絵描きを始めとする一連の創作活動は自分の天職だと思っています。

ところが、ほとんどの場合、「お金」とか「収入」には結びつかないケースが多い「天職」の価値を他人に理解して納得してもらうのは難しいな、と感じています。今の経済社会では価値観をはかる物指しが物質イコール金銭価値、という図式になる場合がほとんどだったり、また世の中にはそういう物指しでしか価値がわからない、という人も少なからず存在します。梁

社会のシステムそのものがそうなっているのだから仕方がないといえばそれまでなんですが、でもそれだと本当の満足とか幸せとかは掴めないままに人生を終わってしまう人がたくさんいるんじゃないのかなあ、とも思ったりします。

現実に家族にさえも「天職」の意義を納得させるのは大変だったりします。家族ですら「単なる趣味」としか思っていなかったりする場合もありますしね~。(ため息玲)

しかし「お金になる、ならない」っていうのはそんなに大事なことなんでしょうか。「適職」の場合はスムーズに収入に結びついて、まわりの人も納得するし、本人もそれなりにいいんだという実感はあるかもしれませんが。

でもいつか魂が切望する時があるんですよね。お金では得られない「真の満足」というのか、「魂の充実感」というものを。

この満足は知性のかなり深い部分と心と魂の働きが一致して動いて初めて得られるものなのかもしれません。烈

もしも私が他に適職を持っていたとして、それによって巨大な富を得たとしても「創作」が欠けたままならば、絶対に満足の人生にはならないと思います。逆にいえば貧乏な生活であっても、創作の自由と時間が絶対保障されているとしたら、そちらを選んでも不幸な人生だとは思わないでしょうし。撚

一番いいのは「天職」と「適職」のバランスが取れていることなんでしょうが、今の私には「天職」をどうあっても死守したい気持ちで一杯なんですね。自分の中になにがあっても守りたいものがあるのが不思議ですが、その意義に気付いてしまうと、もうそれを無視しては生きられなくなります。それもまたなかなかに幸せな人生かもしれません。劣

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