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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

勝ち負けってないのよ

今年初めてのゴミ収集の日です。かなりたくさんのゴミが出来ていたので、ちょっとすっきりしました。でもまだ缶とか瓶とかはあるんだよね。

年末年始のハイテンションの反動が出始めて、昨日はちょっとマイナーな気分でした。これはまずいなあ、と思ったけど、なにもする気になれないし。これは受け手になるべき時期だと考え直して、一日遅れで「土方歳三 最期の一日」のビデオなどを見ていました。

よかったなあ。ラストで鉄ちゃんの走っていく先に未来が見えましたよ。こういうラストに導いていくのがやはり三谷さんの描き方なんですね。前向きな姿勢。だからあとに残るものが明るいイメージなんだなあ…。こういう描き方はすごく好きです。

ビデオを見終わったのが11:30で、それからは村上和雄さんの「生命の暗号」を半分まで読みました。

Web拍手ありがとうございます。

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この本もそうですが、去年の後半あたりから、私が触れる作品やあらゆる出来事が、ひとつの確信を裏付けるものになっています。こういうのもちょっとしたシンクロニシティなのかしら。

その確信というのは「人生に勝ち負けはない」ということです。よく世間では「勝ち組・負け組」とか「負け犬」とかっていうじゃないですか。ああいう価値観っていうのは実に狭い範囲の幸福感しか表現していないなあ、と思うのですよ。それも大体メインが物質的な豊かさを手に入れることでいい、という価値観かな。

けれどもこのごろ私が思うのは、幸福を感じる人生ってそういうものじゃないなあ、ということです。むしろ成功よりも挫折が多いほどに、ごく当たり前の日々の中から感動を得る機会が多くて、得る幸福感も大きいなあ、と思うんですね。

どんなに不幸に思えるような出来事でも、その中に必ずプラスに思えるものがあるんじゃないかなあ、と。病気になってわかる健康のありがたさ、人の優しさとか生き甲斐とか、眼には見えないものの価値に気付くのはむしろ逆境にある時のような気がします。

そうすると挫折だらけの人生でも、それだけ多くのプラスに出逢う機会が多いような気がするんですよね。たくさんの「プラス」と感動を見つけて行くとしたら、どういう類いの人生にも勝ち負けはないですよね。

精神面では人間というのはとても平等に出来ているのかもしれません。自分の魂が欲するものに忠実に未来を選択していく限り、たとえどういう結果に終わったとしても悔いは残らないと思いますし。悲劇でも本当は悲劇じゃないと思えるのはそういう時ですね。

村上さんの本には「サムシンググレイト」という表現がされていますが、そういうものと繋がる生き方が出来ると最高に幸せだよなあ、と思うのでした。本当はいつも繋がっているのに、それに気付かないのは勿体無いですよね。

うん。これから先も悔いがないように生きたいなあ、と決意する私でした。

(本の内容などについてはまた別の機会に)

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