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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

宗教勧誘は困る

クロッキーブックを拡げて地味にラフデッサン中。しばらく時間をおいて見ないとデッサンの狂いがわからなかったりするので、その間にこの日記を描く私。

朝起床する30分前に救心を飲むと、朝の動悸の発作がましになり、ひいては吐き気も抑えられる、という対処療法のタイミングを発見したので、昨日から母の体調もいくらかましになっている。昨夜はわざわざかかりつけのお医者さんが電話で様子を尋ねてくださった。手術の時からそうだったけど、本当によく気遣いしてくれる先生なので、病院はとても繁昌している。人徳ですね。私も好きな先生だ。今はしばらく内科の病気になっていないから、通院はしていないけれど。

(血液検査とかその薬とかは神経科の方でも出してくれるんだよね)

Web拍手ありがとうございます。>風詠さん、睡眠障害は辛いですね。くれぐれもお大事になさってくださいね。

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知人から宗教の勧誘を受けて困っている人がいた。

デリケート、かつ難しい問題なんだよね。特に新興宗教に関しては。うちも無縁ではなかった痛い経験がある。

離婚した弟の元妻が新興宗教にはまっていたのだ。そもそも宗教に関心を持ったきっかけがなんらかのストレスがあったからだとは思うんだけど。

子供のお母さん仲間で、家族ぐるみである宗教を信仰している人がいて、その人が勧誘したんだよね。で、なんとなく道場のような場所に出入りすることがきっかけとなって、いつしかどっぷりと…、というケースだった。

休日のたびにその道場のような所に出かけて行く。子供も連れて。だからだんだん夫婦間のコミュニケーションが取りづらくなってくる。

もちろん、一般の社会にも布教活動はしていて、これを書くとすぐにわかってしまいそうでなんなんだけど、いわゆる手かざしをして、身体の中の悪い所を浄化しましょう、という方法を取るのね。

まあ、家族なので、手かざししてもらうくらいのことはなんでもなくて、少しでもその宗教を理解したいと思い、京都にある本部にも行ってみたし、研修を受けて、本格的に手かざしをするための資格のようなものを受けようかと、そこまで考えたことがあったのだ。

でもぎりぎりのところで、ふと「待てよ」と疑問が浮かんだ。私自身は本当にその宗教を必要としているのだろうか、と。で、もう一度落ち着いて考えてみると、自分自身はその宗教のために他のことを犠牲にしたりする覚悟はないわけ。「家族なんだし」という義妹への気持ちというか、おつきあいの気持ちが大きかったのね。そんな曖昧なことでいいのだろうか、と悩んで、結局研修を受けるのはやめた。

9歳になると子供でも資格が取れる、ということで、子供達はお母さんにつきあっているうちになんとなく研修も受けちゃったけど。まあ、子供にはまだ判断力はなかったから、いずれ大人になって、自分で考えてくれればいいと思っている。

弟はもともと新興宗教は嫌いだった。だから夫婦間の溝はますます深まり、本来ならばその宗教が決して奨励していない「離婚」という形の方に流れて行ってしまったのだ。

特定の宗教に深入りするには覚悟がいる。場合によっては家族を犠牲にしてでも信仰を貫くという覚悟ね。

昔からの宗教でも、たとえば仏教で出家することは俗世との縁を絶つ意味もあるし、キリスト教でもマザーテレサのように生きるには、その博愛が「家族」の中のみに留まらず、「世界中の人々が家族同様」だと分け隔てなく愛せなければ無理なわけです。

そこまでの覚悟、私にはないなあ。ささやかな家族の幸せ、日々の日常の雑事がそれなりに愛おしいわけで。その部分と一途な信仰とを自分の中で矛盾なく並立させるのは無理だと思ったのだ。

ならばいっそのこと、宗教とは無縁でいる方が気持ちの安らぎが得られるかもしれない。特に新興宗教に関してはいろいろと家族の間でもトラブルが多かったりするしね。

もちろん、うちにも先祖代々の宗教というか、菩提寺はあるけれど、私はそこの宗教も信仰してはいない。むしろ嫌いだし、できれば縁を切りたいくらいなんだけど、そうすると家のお墓とががなくなってしまうので、それもちょっと難しい。もう、本当にお義理でのことしかしていないけれど、それでも仕方がないなあ、と(汗)

真摯になれないのだから、なあなあで行くしかない。にもかかわらず、布教を奨励されると腹が立つわけです。

なので、今はきっぱりとお断りするのに罪悪感も持たない。「宗教は間に合っています」

いつか、本気で真摯な姿勢で求めるようにならない限り、私自身は中途半端に特定の宗教とかかわりを持たない姿勢で貫きたいと思うのだ。

まあ、現代日本では信教の自由はあるんだから、自分が必要だと思う人は信仰すればいいと思う。けど、それをまわりに布教するのはやめてくれ。その人がよかれと思ってしてくれることでも、結果的には不幸の原因にもなりかねないことだってあるんだから。

信教を持たない自由だってあるんだぞ。

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