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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

カメラのない生活

このところ創作のペースが落ちていたが、ようやく新作が描けてほっとしている。寒いのも敵だったりするのよね。

で、これが朝のうちに仕上がったので、ちょっと自室の掃除などもした。ものが増え過ぎて山になっていたので、杏珠とべちこちゃん達を二階のもと子供部屋に連れて行ったのだ。普段は誰もいないけど、仮に地震でものが崩れ落ちてきてもお人形だけは大丈夫そうな気がする(笑)杏珠も下敷きになる恐怖から解放されたことは喜んでいる(笑)

Web拍手ありがとうございます。>こしろさん、某アニメ、正解です(笑)依頼をもらわなければ見ていなかったかもしれませんが、あの当時は姪っ子が小さくてつられて見ていたりもしたのでした。 >春音さん、サイトにいらしてくださる方々には昔の作品でもそれなりに新鮮に見ていただけるかなあ、と思っています。また次も昔の原稿を捜してきませんと…(笑)

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携帯にでもカメラがついているという世の中で、私はいまだにカメラのない生活をしている。

もともと写真に撮られるのが嫌いだったんだよね。中学生くらいの頃から、逃げるようになった。まあ、いろいろ自意識が芽生える微妙な年頃だったので。

親なども子供が小さいうちは、頑張って写真を撮って、せっせとアルバムに納める手間を惜しまないようなんだけど、やはり子供も大きくなってくると、あまり写さなくなってくる。だからうちに残っている写真は私のも弟のも小学生以下の小さい時のものがほとんどで、それ以降のはまったくといっていいくらいに存在しない。かろうじて学校関係のアルバムに残るくらいかな。

で、自分が大人になってもやはり写真を撮る、ということにあまり関心がなくて、たまに旅行に行ったとしても、風景などはイメージで頭で覚えておくので、さほど写真の必要性を感じなかった。

弟の場合は子供ができて、その成長記録を撮るようになったので、自分が写る写真もぽつぽつ残るようになったけど。

私のは本当にないなあ。ただ20代の頃に一度だけ、写真館でポートレートを撮ってもらったことがある。その頃は体型などもそれなりに理想的だったので、「若い時は痩せてたんだぞ~」という証拠のために、かつ、自作のフォーマルドレスの記録のために撮ったものだった。プロの写真だからやはり出来はよかった。

きちんとした写真でも、それがお見合い写真になることもなかったし(笑)

あ、でももし私が今死んだとしたら、遺影に使える写真もないわね~、とは時々思うけど(笑)

カメラのない生活も慣れているとあんまり不自由じゃないんだよね。だから、いまだにデジカメの購入がどんどん後回しになっている次第。

このごろになってから、ようやくCGのための素材のもとが欲しいなあ、とか、お人形を撮るためのカメラがあってもいいかなあ、という気になりつつある。

それでも決定的に必要じゃないから、なかなか買うきっかけがない。普通の家族は子供が生まれたりしたら、ビデオカメラ込みで買うんだろうけどね。このごろ旅行もしないから、「どうしても必要」と迫られるものがないのだ。

はっきりしたきっかけが出来ない限り、まだしばらくは悶々としていそうな気がする(汗)

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