午前中に母のところへ行くつもりなのと、
あとは眼が痛いのとで、あんまりモニタを見てられないかも、というのが
ありまして…。
よほど書きたいことがあれば書くかもしれませんが、まあ、このへんで
お休みするのも悪くないかもしれませんし… (^_^;)
午前中に母のところへ行くつもりなのと、
あとは眼が痛いのとで、あんまりモニタを見てられないかも、というのが
ありまして…。
よほど書きたいことがあれば書くかもしれませんが、まあ、このへんで
お休みするのも悪くないかもしれませんし… (^_^;)
相変わらず、寝込んでいる時間が長いです。なにもはかどらず気ばかり焦りますが、仕方がないですね。
行けたら明日は母の所に行きたいと考えていますが…。
またですか?と言われそうですが、好奇心と「ネタにもなるから」というのでついついやってしまう心理テストの類です。こういうのはわりとよく見かけますけど…。
やってみましたら、私の場合、「じゆう」「きぼう」「やさしさ」でした。
特に「自由」というのはなにを何度やっても真っ先にキャッチする言葉です。私にとってはそれだけ大事なのが「自由」なのかもしれません。
実は今朝起きた時にふと考えていたので、Twitterでもつぶやいていますが、2年ほど前、一時期(いまでもそうかな)「好きなことを仕事にしよう」というのをあちこちで見かけるようになっていました。
まあ、それも悪くないかな、と私も思っていましたけど、いろんなことを試してみて、自分には無理なことが多いなあ、とわかりました。
たとえば文章を書く仕事、ライティングですが、クラウドソーシングを見ていると、案件はいろいろあるんですが、なにかのテーマで適当に文章を書く、というのは自分には無理だと悟りました。特に美容とかは自分がまったく関心がない分野だから駄目です。つまらないし。
小学校の時に、読書感想文の宿題が大嫌いでした。大抵は課題図書、感動するかしないかは読者によりけりだし、こういうふうに書けば大人にはウケるんだろうな、というのも推測出来たけど、あえてそういうのも書きたくなかったし。
いまなら自分が読みたくて読んで感動した本のレビューくらいは書けると思うし、ごくたまに書いてますけど、そういう行動ってどこまでも自発的なものなんですよね。
仮に、「こういう文章をこういう感じで書いて欲しい」と言われても私には無理だと思います。「好きなものを好きなように」ではなくて、「クライアントの希望のように」というのが無理… (ーー;)
絵もそうですけど、ブログなんかもお金に無関係で好きなものを好きなように書いているから、ずっと好きでいられて、ずっと続けられるんだと思っています。
それくらいのこと、ですが、実はこれが大きなことで、自分が書きたいものを自主的に書く、というのはあくまでも自由な行為なんですね。その分責任もありますが、他者の思惑を入れないで(お金がらみじゃないってそういうことかな?と)「好きなことを好きなように書く」ことほど、私には大きな価値は存在しないのでした。
絵も文章も自分が生きることに直結しているものなので、その主導権というか、自由は最後まで死守したいと思っています。
だから一番と二番目に好きな絵と文章は仕事にすることは出来ません。制約絡みになるとどちらのパワーも死んでしまうから…。
だから仕事にして、お客さんからの要望を受け入れることが可能な、妥協もそこそこ出来ることってデザインしかないなあ、と思います。
デザインはまだ自分でも勉強途上のような気がしてますし…。新しいことを学ぶのも楽しいし。
ものすごい狭い選択肢ですが、まあ、そういうことに気付けただけ、2年程度の試行錯誤も無駄じゃなかったみたいです (^_^;)
うちの弟の趣味は魚の飼育と園芸です。
魚は金魚から淡水魚まで、うちの玄関には大きめの水槽が3つあります。照明やヒーターなどの設備も揃っています。アロワナとかアリゲーターガーとか、エンゼルフィッシュとかもろもろの淡水魚を飼ってきました。
10数年前に弟が入院中にアロワナが飛び出して死ぬ事件もあって(空中の虫をジャンプして捕まえる習性があります)、当時はまだ元気だった両親と3人で大騒ぎして片付けた記憶もあります。
このあいだ、真夜中にプランターに九条ネギの種を植えてました。なんで夜中なのかわかりませんが、たまたま調子が良かったみたいです。
調子がましな時にはやりたくなるらしく、「グッピー飼おうかな」とさっきも言っていました。趣味だからいいんですが、自分がうつになってしんどくなると、世話が出来ない日が続いて死なせてしまうのですね。
両親がお世話になったケアマネさんには「弟さんの状態は水槽見ればわかりますね」と言われてました。
クリニックの先生に相談すると、「まったく同じパターンの行動をしている患者さんがもうひとりおられる」そうです。じゃあ、その人も魚を飼っては死なせておられるわけですね(^_^;)
私は魚が泳いでいてもほとんど見てないし興味もないし(クラゲなら見ていたいけど…)、以前、子育てするディスカスが子供を育てているのは楽しく見てましたが、私自身は人間の世話だけで精一杯で、弟ができなくても魚の面倒を見る気はありません。
きっとまたうつになったら死なせるのでしょうが、でも趣味も大事だから止めないでおこうかなあ、と…。
で、ふと気がつくと、こういうのって、材料だけ揃えて嫌になる私のパターンともなんとなく共通点がありそうに思えてきました。こういうところもなんとなく困った病気ですよね…(*-д-)-з