つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

何億年の孤独

ここしばらく母が静かです。 私が死神に取り付かれていて、しばしば「死にたい」とつぶやくからかもしれません。

 

死神は虚無と絶望の衣をまとっていて、隙あらば深く取り付いて入り込もうとします。でもここで言いなりになるのはおそらく間違っています。

 

人間は面白いもので、内臓の働きが健康で異常がない時には、内臓の存在自体を意識しませんよね。 仮にストレスが胃が痛いとか、飲み過ぎて気持ちが悪いとか、動悸がするから不安だとか、そういうふうに身体のサインを受けて、はじめてそれに対処しようとしているところがありますね。

 

そういうことと同じサインが実は脳にもあるなあ、とこのごろの私は感じています。 たとえば片頭痛とか、緊張性頭痛とか、眩暈とか。ずっと重篤な脳卒中だとか、そういうサインとは明らかに違います。

 

具体的に上手く説明することが不可能なんですが、うつの時はとにかく脳の中で微妙だけど普通ではない変化が起きている、とこのごろ自分でよくわかるんですね。 場所が脳だけに、コントロールセンターの混乱というか、独特の状況に陥ります。

 

他の内臓が悪くても「死にたい」とかはまず思いませんよね。「あまりに痛すぎて死んだ方がまし」とか思うことはあっても。

 

でも脳がやられると、この指令自体に混乱が生じるから、自分でもわからなくなりがちなのです。死神のささやきと誘惑がどこまで自分自身の考えているものなのか?というのが。

 

冷静に見てみれば、「何を馬鹿なことを考えてるんだろう」という落ち着いた自分もいて、「死にたいわけじゃない。助けて」とSOSを発する自分もいて。

 

本当にコントロールセンターが大混乱になっているのがよくわかります。 この混乱を静めて収束させるために、特効薬(副作用がない)があればいいけれど、そうはいきませんし…。

 

ただ、私個人は精神安定効果があるのはお絵描きだってわかっているし、事実、他のことは出来なくてもお絵描きだけは出来るのはよくわかっているから、これが最高の薬だと思っています。

 

死神を放逐するにはかなりの根気と根性と我慢が必要なので、そのあいだは本当に長く孤独な日々が続きます。孤独きわまりない闘いです。それでも仕方がありません。自分の中から追い払うのは自分しかいないんですから…。

 

何億年未来の地球のヴィジョンを見ながら、虚無の波に呑まれそうになりながら、それでも無事に戻らないといけないことはとりあえずわかっています。

 

ただ、どうしてか?という答えはまだわかりません。いつか哲学なり宗教なりがその答えを導いてくれる時が来るのでしょうか?