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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

自分の中に常に両立して存在する「軽躁」と「うつ」

 

寒くなってきましたね。裏庭への網戸をガラス戸に替えて、扇風機を洗って片付けて、それだけで力尽きました(ーー;) もうなにもする気力が出てきません(ーー;) 足先も冷たいし、今日はもうお風呂沸かさないとダメだろうな…。

 

 

相反するものがいつも私の中にある

 

このごろ感じていることですが、私の双極性2型障害っていうのは、常に二つの部分が私の中で同居していて、その時によってどちらが表面に出てくるかだけの違いかもしれないと思います。でないと気分の交替が目まぐるしすぎる (ーー;)

 

自分は幸せだと感じているのに、それなのに「死にたい」と思ってしまう。いつでもトリガーになるのは具体的な「これ」という出来事ではなくて、心身の疲労感ですね。「もうこんなに疲れるのなら死んだほうがまし」とか思ってしまう。この「疲労感」がトリガーになる、というのはずっと初めから変わりません。

 

で、この気配はすでに中学生の頃からあったなあ、と思うのです。それをきっかけにして「死ぬのが怖い」とか感じなくなったみたいですね。長い気分の葛藤になります。なんとかよくいままで生き延びてきたなあ、と思いますが…。

 

でもいまでも疲労感が強まるたびに死にたくなるから結構難儀です。逆境にあってもそれなりに耐えられるんだけど、あとでどーっと反動が来て、疲労感に襲われた時が怖いんですよね。

 

 


なだめるのもコントロールするのも疲れる

 

長いつきあいだから、うまく「気持ちを逸らせる方法」というのもわかってるし、創作やなんかは非常な支えになっていてくれるんですが…。

 

夢もあるし、将来の展望もなくしていないし、生き甲斐もある。それにも関わらずに死にたくなるという困った現状はどうしたらいいんだろうか?と思います。

 

まあ、私は中学生の時からかなりの厭世観の持ち主で、特に古典や歴史物を好んだおかげでそれがより強くなった気がしないでもないですが… (^_^;) それらはやはり楽しみとも同居していたものでした。

 

結局、「生きることそのもの」が「生きる意欲」と「死にたい気持ち」と表裏一体で存在しているのが私の双極性障害のように感じます。死神は距離こそ違えど、ずっと見守っている感じがします。

 

私の人生は子供の頃からずっと「死」を意識した人生でした。自分ではそれが当たり前だったし、それでいいと思ってもいたけど、自分のことだけでこんなに葛藤しなくてよかったら、もっと他の人のことをたくさん考えられるのではないか?とも思います。でも、それだけで悩んできたから、他の人のことを理解出来るようになったとしたらそれでもいいし。

 

いついかなる時でも、沈みそうになる私自身を救い上げてくれるのが創作とか、イマジナリー・フレンドなんだろうな、と思っています。自分自身と適切な距離を取る方法とでもいうのでしょうか。自分を救うために生まれてきた存在なのかもしれませんね。

 

両肩にずっしりとのしかかる疲労感(死神)との闘いに今日も一日が過ぎて行きます。

 

 

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