昨夜は何度も揺れたみたいですね。ここいらは揺れていないから全然知りませんでした。少しくらい揺れても起きない可能性もありますが (ーー;)
介護ベッドは寝心地よかったです (^_^;) 体位交換が出来ない人だとあのマットでもきついかもしれませんが…。(父の時はエアマットを借りてました)いずれにしろ昼間に疲れている私はすぐに爆睡してしまいます (^_^;)
個人的な生活リズムはほぼ戻りましたが、忙しくてお絵描きの方がラフからちっとも進みません。昨日郵便配達のお兄さんに年賀ハガキの予約もついうっかりやってしまったのになあ…。まあ、気持が落ち着かないのもありますが。
どうしても足りないものを発見するので、ネットで探して通販を頼んだり。病院の帰りは自分だけなら適当に外食も出来ますが、弟の食事を買って帰らないといけないからなあ…。なんだかすでに2人の面倒を見ているのとあんまり大差ないような気がしてきました。
月曜日は一日仕事だから、出来れば明日は休もうかな。かわりに弟が行ってくれるといいんだけど、それも期待薄だし。今日も宅配便を受け取って片付けてからの病院行きになりますね〜 (*-д-)-з
自分の手に余りそうなことに出会うと、ついつい哲学的な意味を探すのと同時に、スピリチュアルな方向からの意味も探してしまう私ですが、こと「介護」というテーマに関しては本当に一貫性がなくて解釈もばらばらでした。やはり自分で体験した人が少ないからだろうか?どこかに「他人事」というのがありありと見えてきます。馬鹿馬鹿しくなったので、検索するのもやめました。
が、介護という現場に直接携わる人たちの視点から見ると、やはりケアする側とされる側、双方に「スピリチュアルケアは必要」と実感されている方が多くて、こちらは圧倒的に納得するご意見が多かったですね。 終末期医療など特にそうではないかと思います。生命の意味を真剣に考えたい人の真摯な願いも大きいのでしょう。
先天的な原因があったり、無茶をした結果でもなく突然に襲われる病というのは、病人にとっては大抵理不尽ですしね。意味を求めようとするのは人間の自然な姿かもしれません。
無理のない励ましのようなものや、応援の気持やその他もろもろ、親身に寄り添うというのがいかに難しく、でも大変なことであるかわかります。
で、おのずとスピリチュアルの真偽も見えてきたりするわけですね。だから私は関心はあっても、あまりそちらに揺れすぎないように上手くバランスを取れるようになっているみたいです。