街中でお線香の匂いがすると思ったら、お彼岸ですね。
せっかくだから、供養の意味も含めて父の介護の話題などを…。
昨日、Facebookの方で、非常にほのぼのする認知症の母と娘の動画を見て、シェアしたいなあ、と思ったんですが、無理みたいだったので…。別の動画ですが、シェアしています。
【胃ろう患者・家族体験記】笑顔がみたくて~わが家の介護~|NPO法人PDN
在宅介護としての理想は自分の経験からも最低二人は必要です。可能ならばヘルプしてくれる家族がもう一人。
自分で言うのもなんですが、私の胃ろうの扱いとか痰吸引とかはプロですよ(^^)
ここのご家族のパターンは母と二人がメインで父を介護していた時に似ています。その当時は弟もよく手伝ってくれました。
そうなんだよね。家族だからあんまり話せない父とも普通に話していたし、家族だから言いたいことがわかるし、全然悲惨じゃないんです。よく笑ってたし。介護者家族が一人か二人かでえらい違いがあるんですよね。その点では父は幸せだったと思います。
父が倒れたのは2006年の1月でした。深夜、救急車で病院に運ばれました。脳梗塞でした。
父は心房細動があったので、心臓でできた大きめの血栓が脳血管で詰まったんですね。最初の頃はまだ脳の生きている部分があって、普通に会話もできましたが、やがて難しくなりました。CTなどを見ると右脳部分が真っ白になっていました。
左半身付随。片側からの視覚、聴覚、触覚などのあらゆる刺激を認識できなくなる、半側空間無視という状態でした。当初から嚥下機能も良くなかったのですが、5月に2度目の発作が起きてから、余計にひどくなりました。
父は昔から「死を怖がる人」でした。自分なりにそれゆえのスピリチュアルな勉強をしていました。当時は丹波哲郎さんなどの「大霊界」などがブームになっていて、よく丹波さんの本は読んでいました。江原さんも倒れた頃には読んでたかな。でもまだ納得できていなかったんだと思います。「死ぬのが怖い」というのは大きかったと思います。
母も私も、だから胃ろうの話が出たときはほとんど迷いませんでした。すみやかに胃ろうの処置をお願いしました。同時に気管切開や人工呼吸器はお断りしました。そういうこともわりと日頃から家族の間で話題になっていたからですね。
要介護5、重度身体障害者1級。ケアマネさんがメインで立ててくださったプランは、週に一度の訪問入浴、かかりつけ医の往診。週に2、3度の訪問看護。これくらいですと、あんまり介護保健を使っていなくて、点数がかなり余っていたそうです。あとは電動ベッドとかエアマットとかお借りしていましたが…。
長いような短いような、3年10ヶ月の在宅介護。(このへんの経緯は当時のブログ、過去記事で見てくださればわかります(^_^;))
亡くなったのは2009年の10月です。ICUから直帰で、自宅で半月頑張って、最期の3日間はずーっと私が手を握ったままだったので、それで安心してくれたみたいです。本当に穏やかに安らかに逝きました。あの顔を見たら、ちゃんと怖さを乗り越えて行くべきところに行けたんだなあ、と思いました。家族としては最善のターミナルケアを出来たと思っています。
私は赤ちゃんや子供ももちろん可愛いですが、お年寄りも可愛いと感じることが多いのですね。特に介護をしていますといつのまにかそういう心境になってきます。少しずつ子供に戻っていく感じがして、なんだかとても可愛いと思うのですね。それでいて、やはり尊敬する親でもあるし。かわいらしさと尊敬とが無理なく同居する存在。不思議ですけど…。
で、気がつきました。「尊敬しつつも可愛いと思える」というのが私にとっての「愛」じゃないかと。恋人にしろ、親子にしろ、夫婦にしろ、友人にしろ、愛情を感じる相手にはかならずその両方が備わっています。年齢とか性別とかでもないんですよね。
これはやっぱり「人としての愛情」みたいですね。赤ちゃんの世話も大変ですが、可愛からこそ育てられますし、それと同じように可愛さを感じるお年寄りも介護が出来る気がします。立場的には全然違うようですが、どこまでいっても「人として対等である」感覚は変わりません。
(「哲学する赤ちゃん」を読んで、私は赤ちゃんのこともすごいなあ、と思っています、いや、これは結構前から知ってましたけどね(^_^;))