つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

片付けられない理由&2冊の本

今朝は母と2人で、あまりのしんどさになかなか起きられず、やっぱりこれは入院が必要なレベルではないだろうか?と考えていたんですが、やっとのことで起きて、さっきみわよしこさんのツイートを見て。

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Yoshiko Miwa ‏‪@miwa_chan‬

TV持ってないので昨晩の「バンキシャ!」生活保護特集は見てないんだが、感想ツイートの数々にブチ切れそう。外から見てわからない障害や病気での本人のしんどさは、見てもわからない。家の中の混乱がしんどさを物語っている可能性に、なぜ気付かないのか。‪#生活保護‬ 

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家事も出来ないほどのしんどさっていうのが、元気な人には想像出来ないのかもしれない。…というか、普通にそれが出来ることのありがたさに気付かない健康な人の幸福って傲慢だなあ、とふと感じました。

うちも現在家の中が混乱の極みです。片づいていない場所が圧倒的に多いし、それはすごくわかってるんだけど、出来ないんですね。「誰か助けて」と心の中で何度願ったかわかりません。

ふと気付くと中古マンションの広告を眺めていたり。バリアフリーで、買い物が全部近所で出来て、ベッドだけを置いていつでも寝られる部屋もあるし…とか、今の家(というか土地ですね)を売ったら購入出来ないかなあ?と想像。少ない労力と気力でなんとか出来ないかと足掻いてるんだな、きっと。しんどいのに布団をどけないと食卓が出せない家なんて最悪ですよ〜 (ーー;)

しんどくてあまりお絵描きが出来ず、それでも読書だけはなんとかしています。

 「姫神の来歴」   この類いの古代史研究の本はちょっと久しぶりですね。

須佐之男命の妻ながら、わずかな記述しかない櫛名田姫(くしなだひめ)。天照大御神の妹神とされる丹生都姫(にうつひめ)は、なぜか、『記紀』にその名が記されていない。不可解な事実に着目した著者は、二人の姫神の来歴を辿り始める。博多から始まる探究の旅は、奥出雲に飛び、吉野、高千穂…。取材十年。圧倒的な説得力で解き明かされる古代王権の真実、逆転する「天つ神」と「国つ神」、須佐之男命の正体。「天孫降臨神話」の真相とは?略奪された姫神とは?そして卑弥呼とは。独自の仮説で日本古代史を根本から塗り替える劇的な一冊。」

いつの時代でも勝者は自分たちに都合のいいような歴史しか記さない。記された歴史の裏にこっそり描かれた敗者の歴史を探す…というような視点ですね。著者はスサノオというのは実は新羅の王だった。という説を立てています。いわゆる天つ神が新羅の王族たちで、国譲りを余儀なくされた国つ神が倭国の人々。それらの争乱を伝えたのが「倭国争乱」という文字であり、卑弥呼はその倭国の女王、すなわちアマテラスと呼ばれる人だったのでは…?と。

あくまでも女性の立場から考察したものには説得力がありますね。それだけの古代に新羅の血と倭国の地は混血しているわけで、そもそも万世一系など考えられないことではあります。これって古代史に詳しい人ほどそう思ってますね。

…ていうか、私には古代における朝鮮半島の人々と倭国との人々の往来が非常に自然なことと思えるので、自分の中にあるヤマトタケルの物語を描いた時も、自然とそういう人たちが出てきたりしていました。絶対にいたよね、大陸の技術を学んだ技術者とか、争いから逃れてきた人たちとか。そういう人たちが倭国の人と結婚したら、もう相当昔に我々の血は深く混じっているわけです。

その後の不本意な歴史の事実はともかくとしても、基本的には私たちは兄弟なのでは?と感じました。いつの世にもややこしいことの原因になったり、よけいに混乱させる元凶は男性なので、ここはひとまず男性はほっぽっておいて、女性たちだけで仲良くなった方がいいかもしれない。で、楽しそうな女性の輪に興味を示した柔軟で協調的な男性からぽつぽつ仲間に入れてあげるというのはどんなものでしょうか? (^_^;)

閑話休題

ちなみにこの著者は本が上梓される直前に若くして亡くなられています。ご冥福をお祈り致します。

 こっちは「イエスの生涯」私はKindleで読みましたが、文庫も出ているようです。

「英雄的でもなく、美しくもなく、人々の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?――幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせた、イエスの〈生〉の真実。」

奇跡を起こした人ではなく、苦しむ人や病む人々のそばにただいることしか出来なかった無力なイエスと、ろくでなしな弟子たち。すべての人を「ただの人」として描いてあります。

それにも関わらず、無力なイエスを弟子たちはなぜ見捨てなかったのか?どうしようもなく臆病な弟子たちがイエスの死後、殉教もやむなし、という強い信仰に至った理由はなにか?彼らにとって「復活」が意味するものとは…?

作家の想像力がフォローしたものはすごく面白いですね。ユダが最もイエスの心情を理解していて、相似形の人生を生きた、とか。そうなんだ〜、と思える分析も。きっと聖書だけを読んでいたらこんなに面白くないと思います。これは遠藤さんならではの作品でしょうね〜。

ただし、この作品の登場人物のヴィジュアルイメージが全部「聖☆おにいさん」のそれで浮かんでた、ということは白状しておきます (^_^;)