お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

DTPの仕事も出してみた(ココナラ)

 

個人的なご用命も、お仕事でのご用命もお引き受けいたしております。

 

coconala.com

 

さすがに秋のイベントシーズンは終わりですが、年末年始に合わせて

なにかと集まりが増える季節。

どうぞご利用くださいませ(^^)

 

 

ココナラは本当に価格破壊で安すぎると思うんですが、全体的に

見直しされるようになって欲しいと願っております(ーー;)

 

 

日本の優秀な人材は学問畑、研究室や、町工場の技術者、ゲーム絵師などに

至るまで、中国などに非常に高待遇で引き抜かれるのが当たり前の時代になりました。

技術に対して、ちゃんとした対価を支払えていないツケが回ってきた感じですよね。

技術の流出によって、ますます競争できるようなレベルにはいられなくなります。

日本製品が圧倒的だった時代はもう終わったみたいです(*-д-)-з

 

アニメ業界なんかも明らかにそうだよね。アニメーターの待遇の悪さとか。

 

いや、自分とは無関係なんですが、ふと思い出したので書いてみました。

 

 

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お金に換算出来ない幸せについて

 

クリエイティブな作業から得られるもの


お絵描きしていて、一番幸せだと感じるのは、まだなにも見えていない時に、突然前降れなく「天からイメージが降ってきた」瞬間かもしれない。これはもう、本当に「降ってきた」としか表現が出来ない感じで、本当に完成形のイメージが降ってくるんですね。

 

だから私はそれを写しとることというか、まず下書きから初めて、自分の頭の中にしかないものを他の人にも見える形で表現しないといけないんですが、その過程が非常に難しいのに、実は楽しいのですよ〜。まあ、絵に限らず、漫画でも小説でもそうなんですが…。

 

創作者のみなさんは「難しい。大変だ」と思いながら実はその過程を楽しめる人たちなんですよね (^_^;) 私もそうだからよくわかります。

 

頭の中が白紙ではなにも描けない。ひたすらに出来る準備はしておいて、まあ、イマジナリー・フレンドが動いている時は彼らの言動に心を配りつつ、降ってくる、あるいは降りてくるイメージを待たないとね… (^_^;)

 

こういう閃きはデザインの時にも働いて、お客様の要望をお聞きした瞬間に閃くことも多くて、そういう時は双方納得出来るいいものになることが多いです。

 

 

 

力強いギフトかもしれない


イメージというかインスピレーションというか、なんかそれって私には天からのギフトみたいに感じられたりします。

 

つい数日前、本当に体調悪くて、それに引きずられて、気分もうつになって、希死念慮も結構あったんですが、ちょうど仕事関係の問い合わせをもらって、そのテーマに気持ちを向けた瞬間にイメージが降りてきて、それはまだ形にする必要があるかどうかもわからないし、あくまでも未定なんですが、そのイメージによって、一気に浮上したというか、希死念慮すらどこかに吹き飛んでしまった、ということがありました。

 

だから私にとっては「死の誘惑」より強いものは「創作」しかないなあ、と本当に思い知りました。そのことで自分は幸せだと痛感出来たから、すごくよかったよね、と思っています (^_^;)

 

なんとなく、昨日書いたことに続いちゃった (^_^;) まあ、生死を左右する可能性も持つくらいですから、これを仕事にすべきではない、というのもよくわかりました。


昔、同人誌時代の友人にも私はプロになる気はさらさらない、と理解されていたのも思い出しました。まだ二十歳前くらい。10代後半あたりのことでした。その友人は当時、プロの漫画家志望で、実際にアシスタントの仕事はしていましたが、やはり自分はプロ向きではないと方向転換したのですね。人生、どこにターニングポイントがあるかわかりませんね (^_^;)

 

そういう頃から私はかなり本能的にそういうことに気付いてたみたいです。まあ、頭でお話を作れるタイプでもなかったし。イマジナリー・フレンドが動いてくれないとダメだし、とにかく創作に関してはすごい不器用だと自分でも思っていました。当たってるなあ…。

 

まあ、幼稚園の頃にすでに独身でいることを感じていたから、まずそういうことって自分で予想可能みたいですね (^_^;) 世間を気にしない、どこまでも自分に正直で忠実だからかも… (^_^;)

 

 

 

価値観は本当に多種多様


高二の時に病気になって、進学もどこへやら?すぐに就職も不可能で数年間自宅で療養していましたが、その頃は手紙と文通で全国に同好の友人をどんどん作っていました。高校時代には得られなかった友人だから、それもすごく楽しかったですね。うちに遊びに来てくれた人もいましたし、一緒に原稿も描いたりしていたし…。

 

やっぱりオタクな仲間でしたが、満たされていたなあ、と思います。プロになった人も多かったし…。学校で友達が見つからないと嘆いている人がいたら、そういう「好きなこと」を中心に広い範囲で友達を探すといいですよ (^_^)

 


いまでも画集なり、自費出版が出来たら、その本が完成した時は本当に「ああ、もうこれでいつ死んでもいいわ (^_^)」という幸福感に包まれますから…。漫画の同人誌を作っていた頃も、やっぱり新刊が出来た時は同じ気持ちでした。新しい紙とインクの匂いに包まれて眠る時の幸せっていったら、本当になかったです。

 

そういう満ち足りた喜びはやっぱり創作の世界以外にはちょっと見つからないなあ。少なくとも私にはそこが居場所なんだと思います。なにがあっても帰っていける場所というか、原点ですね。…あ、これって自己肯定感の強さとも関係ありそうな気がします。

 

病気になることは基本的にマイナスイメージなんですが、病気になった時に改めて自分の価値観を見直すチャンスかな?とは私も毎回思ってきました。私個人に限って言えば、ずっと一番大切なものは同じですけどね。それを仕事にしないのも同じですけどね (^_^;)

 

 

数年の間隔を空けて描いた四神の青龍。

和風タロットを作りたい計画、頓挫して、もう再開する気力がないかも〜 (/_;)

 

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好きなことを仕事にするかしないか、迷ったら考えて欲しいこと

 

今日はいつもと違って、マッサージの先生がお昼までに来られるそうです。一応そのつもりで、早めにこれを書いています。

 

思えば先週はマッサージの翌日から、もう背中がバリバリになる、異常な状況でした (ーー;)

 

 

人生の答合わせ的な…


このあいだから、算命学関連のサイトをあちこち読んで、なんとなくわかったこと。人は自分が持って生まれた星を輝かせて生きることに意義がある、ということ。持ち前の星の運命を消費出来なければどこかに不具合が生じてくるというのですね。…なんだか納得。

 

その人本来の生き方を貫いていれば、そういう不具合も出てこないのかなあ?と思ったり…。中国の長い歴史がある学問だから本格的に学ばないとダメなんでしょうけど…。

 

ちなみに私の命式には司禄星と調舒星が二つずつあります。本人を示すという胸の位置には司禄星。この星は「家庭的で控えめ。穏やかで優しい性格。家族や近い関係の人には特に優しい。貯金や技術など日々の積み重ねを大切にしていくといい。」とあります。

 

かたや調舒星も二つ。
こちらは「伝達の星。批判力や表現力を活かす。ひとりでリラックス出来る環境が必要」とあって、こちらはクリエイター、という印象です。好き嫌いがはっきりしていて、好きな科目しか頑張らない。(ばればれね (^_^;))まわりの声なんか気にしない。どこまでもマイペースで好きなことをしている星なんですが、今の自分の現状を見たら、本当にそのとおりだなあ…と (^_^;)


いろんな占いの示すように現在があるということは、方向性を違えずに生きてきたってことかなあ、とこのごろ思っております (^_^;) 

 

ああ、でもなんでも「大器晩成」って出てくるけど、「晩成」っていつのことやらね~?下手したら生涯来ないのかも… (^_^;)


はてなでよくお邪魔しているサイト。

 

sanmei-eiko.hatenablog.com

 


絵を描くために考えておいた方がいいかもしれないこと

 

昨日、みつけたデザイナーさんのつぶやき。

 

in.spicagraph.com

 

好きなことを仕事にしたんだけど、いつのまにか…というのがとても共感を呼ぶ記事になっています。こういうこと、思い当たる人って多いと思いますね。


対照的に好きなことだから、それはアマチュアのままでおいておく、というのがこちら。

 

yumemana.com


私も「一番好きで、大切で、生涯続けたいこと」を仕事にしないことを選びました。まあ、もともと昔から仕事にするつもりはほとんどなかったですが。

 

創作なんていうのは「自分が描きたいモノを、描きたいように、描きたい時に描く」のが私の基本で、そうじゃないと困るのは「自由じゃなくなってしまうこと」なんですよね。本当に職業的にニーズに応えて描くような器用なことは出来ないと思っていました。

 

私の創作にはあくまでも「自由」は必要不可欠なんですね。仕事でカットくらいは描いたこともありましたが、いまだと内なる抵抗が大きくて無理だと思います。

 

たまたま気に入ってもらえた作品をお譲りするなら別ですが。金銭的なあれこれを言い出すと、アマチュアの趣味なんかほとんどそういう価値がないと思いますが、でもその人にとっては生きていくうえでなくてはならないものなので…。それをずーっと大切に守って続けていけるなら、こんな幸福な人生はないと思っています。私の場合はね。

 

心を縛るとダメなんですよ。プロを目指したい、という方がいらしたら、そのへんのところ、自分は大丈夫かな?と考えてみてもいいと思います。デザインと絵は違うから。私はそこは割りきってはっきり分離しています。デザインの一環としては絵は描かないです。

 


過去のアナログモノクロ作品

 

古いファイルを発掘していて見つけました。

これは2001年、自分のサイトを開設した時に使っていたトップページのカットです。

 

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開設当時はまだデジタルカラーの作品がそんなに多くなくて、モノクロも結構載せてたんですね。そういうイラストなので、描いたのは20年近く前だと思います。アナログ&モノクロのペン画。

 

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サイズが小さいのは当時のiMacがモニタ13インチしかなくて、おまけにダイヤルアップ接続の時代だったからです。隔世の感がありますね。

 

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以前載せたことがあるのもあると思いますが、すみません。

 

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いまはもうアナログのペン画はほぼ無理だと思います。眼がね… (;゚∀゚) 見えないし… (/_;) 「見えないから辞めます」と引退された漫画家さんの老眼の悩みは切実だなあ…。あ、でも萩尾望都さんはいまだに眼鏡なしで原稿描いておられますね。すごいなあ。

 

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