この間行きそびれたので、今日こそは、と思ってドラッグストアに行ってきました。母がミカンを欲しがっていたけど、さすがにミカンまでは置いてないよなあ…。バナナはなぜかあるけど…。
いつもの八百屋さんが来られるのが来週くらいになりそうなので、野菜の買い置きはあっても、母の好物のミカンが品切れしている次第です。
昔は箱ごと購入していましたが、今はミカンを食べるのが母だけなので、そんなに大量には買えないんですよね (ーー;) ミカンの皮を剥くことすら面倒だと感じる私も困ったものだと思うんですが… (ーー;)
お絵描きの方は、背景のパーツが揃いましたので、あとは全体の構成に入ります。こういう描き方をするようになったのも、本当にデジタルに頼るようになって以来ですね。
パーツは作っておくと、あとから別の使い道があるから、便利ではあるんですが…。まあ、背景のみでもどんどんデータは重くなっていきます (^_^;)
続きは午後からになるなあ、と考えておりますが…。
いろいろとこのところの世間を眺めていると、世界のあちこちで、今の時代ゆえの特徴のようなものが見えてきて、巨大な「利権」というものに絡まると、人間というのはいともたやすくそれに引き入れられてしまうんだなあ、ということが実感として強く理解できますね。
人間の欲望には限界がなくなるのかもしれません。「もっともっと豊かになりたい」とか「もっともっと力が欲しい」とかいう願望がかなう立場に立つと、その欲望が最優先で人の生命が二の次になってしまうもののようです。
政治とか経財界とか、そういう世界に深く食い込むと本当にどうしようもないことになってしまうんですね。
そして、大抵犠牲になるのはいつの世も弱者である人たちです。本当に危険な現場や、あるいは戦場などで使い捨てられていく生命の少なくないこと…。彼らにも愛する家族や友人がいるだろうし、守りたい人たちもいるだろうし…。
それでも上に立つ人間にはその痛みが実感としては迫ってこないんです。
今、福島の現場で起きている現実も、世界的に見れば、ごく一部のことなのかもしれませんが、そう思って見ると、これほど分かりやすい利権構造というのもないよねえ、と思います。
本来、守られるべき市民でなく、犯罪とも言えるくらいの大きな事故を起こした会社のトップが、警察に厳重に守られているという、非常に奇妙な光景が現出するわけです (ーー;)
その光景のおかしさに気付かなければ駄目だと思うんだよね。ひとりひとりが「変だ、これは」と気付かなければ…。
ごく限られた「なんらかの旋風を巻き起こしてくれそうな人」に託すだけじゃ駄目なんだわ。なにしろ「権力」というのも麻薬のようなものですから、その人がどうかした拍子に「悪意」の天秤の方が置くならないとも限りません。でもきっと当人は悪いことだとは思わないだろうな、という予想もたやすく出来ますね。
どうしたらいんだろう??
単純に善悪の判断がつけやすい犯罪とは違って、もっと大きな、それこそ国家的規模の謀略になってしまいますとね…。個人としては到底納得出来ない理不尽な不幸も少なからず起きるわけで…。
やっぱり「ほどほどでいい」という制御が難しい人間の本質的なものと強く結びついているからだろうな。そういうものを「業」だと呼ぶのかもしれませんが、なんだかひどくやり切れなくて哀しいです… (/_;)
まだまだ、人類というのは「この世の天国」にはほど遠い、罪深い存在なのかもしれません…。