降ってますね。徐々に台風もこちらに向かいつつあるようです。
大きな低気圧が近くに2つもあると、なんとも気分が重いですね。低気圧は心身の健康にはあまり良くないもののようです。今日などは古傷が痛む人も少なくないかもしれません。
昨日は「さよなら原発5万人集会」によるデモがかなりの規模になって、さすがにマスコミもこの厶ブーメントを無視しづらくなる方向になりつつあるようで、少しくらいは望ましい方向に変化しつつあるのかもしれない、と思いました。
夜のニュースで取り上げられるにしてはまだまだ物足りない感は多々ありますが。もっとどうでもいいニュースは一杯あるんだけど…。
昨日の明治公園の人出。すごいなあ、と思いました。私なんかは自分では参加出来ないから、その分目一杯応援の気持ちは送っております (^_^;)
ただ、その関係の情報を収集している過程で、いろいろな面白くないことにも行き当たりました。
一番ショックだったのは、かの山下教授のことを「見捨てられていた福島に来てくれたただ一人の人」だというので、むしろ感謝している地元の人が少なからず存在したことでした Σ( ̄□ ̄; ) ガーン この状況はどう思えばいいんだろうか?
本来見捨てるとかではなくて、真っ先に人やモノを派遣して、もっと迅速に正しい行動を指示しなければいけなかったのは政府の責任の筈です。
その政府があまりにもあてにならないうえに、利権絡みの構図の中に雁字搦めになっていて、身動きすら取れないところにいるのかもしれない、ということで、他の人たちは真剣に情報を集め、自分たちが出来ることを模索し始めました。
歴史に前例のない大事故ではありますが、地元の人のことはもちろん、この先の世代のことを真っ先に考えて、このままではいけない、と強い危機感に駆られた人々が、少しずつその歩みを進めてきた結果として、昨日のデモも存在したんじゃないかと思うのですが…。
もしも自分の故郷だったら、自分の身内の子供たちだったら…と、わが事のように考えて、いてもたってもいられない、ということで行動し始めた人々のことを、なぜか「集団ヒステリー」だの「反原発カルト」だのと表現する人がいること自体が不思議です。
私利私欲で出来ることではありません。
彼らは何十万年の未来まで、浄化しきれない多大な負債を残すことに心が痛まないのでしょうか?あるいは多くの子供たちが若くして健康を害する高いリスクを負わされたり、さらに将来の子孫が遺伝子に傷を負ったりするようなことにも罪の意識を感じないのでしょうか?
大人はいいんだ。自分の責任で情報を選んで、自分の選択で行動できます。
多少なり汚染されている食物を食べて、地元の人たちのために貢献するのも、それはそれでいいのでしょうが…。私は大人の選択や行動には文句を言いません。
それでもまだまだ豊かな将来がある子供たちや、これから子供を産み育てる若い世代の人たちには、一人でも多く、健康で安心できる道を選んで欲しいと願っています。
だからといって、個人的な利益になることなんかなにもありません。
それでも訴えなくてはいられなかったのは、これが魂の指し示す方向だったからです。それでなければ、わざわざ持病を悪化させてまで、こういう辛いことには関わらなかった筈ですから…。
それだけ真摯にこれからの世代を大切にしたいと願った、こういう我々の考え方は間違っていますか?このことに命を賭けている人もいることを忘れないでください。
小出先生だって、基本的には同じように願っておられるゆえに、多くの人の賛同を集めたのだと思いますし、今、真面目に脱原発に関わっている人たちの多くもそうだと思います。
大人の選択や価値観だけを未来の世代に押し付けないでください。どうかよろしくお願いします m(_ _)m