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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

怖さの正体

夕べのバーレーン戦、勝ちは勝ちだけど、鋭くシュートが決まって勝ったわけじゃないから、いまいち爽快感がないなあ。見ていて気分の晴れる試合とはちょっと違ったのが残念。でも守備は安心して見ていられたし、それはよかったな。

昨日に続いてお絵描き中。だんだん手間のかかることをするようになってきたので、完成までに時間がかかってしまう。今日中の完成は無理だろうな。早くて明日くらいかな。

仕事の時だと途中で用事を頼まれたりしないんだけど、お絵描きをしていると家族に時々用事を頼まれる。でもね、急に言われてもPhotoshopのデータが大きくなると保存も読込みも終了もすごく時間がかかるのよ(汗)だから困る。用事はまとめてご飯の前後にしたいものだと思う。やれやれ。

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モナリザが怖いという私の感覚はちょっと一般的な人と違うんだろうか。あの怖さについて考えていて、そういえばわりと似たような怖さを感じるものが他にもあるなあ、と気がついた。

能の面(おもて)なのね。それも綺麗な女面。「モノ」として、ただそこに存在している時にそういう怖さのようなものを感じることがある。

不思議なもので、演じられている時は面も命を持って、豊かに感情表現をしているから、そういう怖さは感じないんだけど、役者の手を離れて、時々壁などに飾られている面があったりするじゃないですか。あれが怖いのね。

「なにものでもない」と同時に「なにものにもなりうる」ものなので、無垢だからこそ、鑑賞する側の心理状態をかなり緻密に反映したりする。それによって内なる自分に気付かされる、それが結構衝撃だったりする。

般若などの面の方がそういう怖さは感じない。あれは表現しているものがはっきりしているからなあ。あと郷土芸能などに使われる鬼の面などもそういう怖さはないのよね。

美と同時に潜むものが怖いのかもしれない。「なにものでもない」ことって怖くないですか?

私の感覚だと一般的なホラー作品は怖く感じなかったりするんだよね。「リング」なども原作しか読んでなくて、映画じゃ見ていないからそうなのかもしれないけれど、怖いとは思わなかった。総じて男性の作家の手によるホラーものは怖くないです。女性作家のだと生理的な怖さがあるんだけど。

「なにものでもない」抜け殻の無気味さを感じて嫌いなのがミイラだったり。エジプトの王族のミイラであろうが、うさんくさい河童のミイラだろうが、入定した偉い上人のミイラだろうが、無気味だと思ってしまうのはどうしようもない。命なきあとはすっきりと塵に還るのが自然で好ましい。

しかしながら、私はお人形は怖くないんだよね。髪が伸びるようなお人形でも。お人形の場合は持ち主の愛情が入るからだろうか。わりと「生きている」感じがするのだ。

うちのSDの杏珠もからっぽにしておいて、余計なモノに入られるのは嫌なので、自分で魂を入れた。だからしっかりと生きている。こういう命の存在は怖くないんだなあ。不思議なことなんだけど。

そんな私だから、寝る前にホラー小説読んでもしっかりと熟睡してしまうのだ。心霊番組もさして怖くないし。…うーん…。やっぱりちょっと普通の感覚からはずれているのかもしれない。

こういう私が鳥肌立つ時。それはスケールの大きな自然と宇宙に触れた時。「畏怖」を感じる時。満点の星空や、おそらく本物のオーロラを見ても鳥肌立つと思う。でもそれはなかなかに心地よいものだったりもするのだ。

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