昨日はマッサージでしたので、背中の痛みなどがいくらかましになりました。またひどくならないように気をつけないといけないなあ…と思いつつ…。
介護家族の経済事情
介護関係者でないとわからないかもしれませんが、特養などの施設の利用にはその人の収入に応じて減免の措置があります。年金額などで決まるのですが、今月まではその計算に母がもらっている父の遺族年金は入りませんでした。非課税ですしね。父が亡くなった時に、母は自分が昔働いていた分の厚生年金か、父の遺族年金かどちらかを選べと言われて、少しでも金額が多かった遺族年金を選びました。母の基礎年金は少ないです。年間80万もありません。
いままでは母の80万以下の金額で計算されていたのに、いきなり父の遺族年金が加算されると否応なしに80万以上になってしまって、そうするとランクが上がって、介護施設に支払う費用も増えます。まだ確認はしていませんが、おそらく月に2万円以上は… (ーー;)
で、父の遺族年金には家計の方も随分助けてもらっています。なかなかね。その分のフォローが可能なほど私が稼げないので… (ーー;) まあ、それも母が生きていてくれているからですが…。
その値上がり分、どうしようかねえ…?…と弟と話していて、「食費を削るのが一番手っ取り早いかな」ということになりました。たしかにお弁当を買っても結構高くつくし。食材を買っても作れなくて無駄にすることも多いし、家庭菜園なんかやる気力がないから、ご近所さんに必要なプランターも土ももらってもらっているし、私はもとより膝がダメだからしゃがむ農作業は出来ません。
まとめ買いしても使えないしね。ホントは近所に八百屋さんがあればいつでも新鮮な野菜が手に入っていいんだけどなあ… (*-д-)-з
「とにかくご飯だけ炊いておいて、あとは各自でなんとかするか?冷凍のお総菜ならちょっとだけあるし」「雑炊とか」「残ったらふりかけでおにぎり作っといて」(←人任せですか…)
なんだかもう栄養とかメニューとかも考えるのが嫌になっているので、ダイエットにもなるし、もうどうでもいいかなあ、という気分です。やっぱり嫌いなことには気力がわきません。胃が小さくなればそんなに食べる必要もなくなるかな、と…。でも少しだけ甘いものは欲しい。脳が働かないから。
節約といっても暑さにはまいっているので、電気代とかの節約は無理ですね (ーー;)
私も弟も障害年金だけはもらっていますし、それもわずかですが、これがもし、働いている人で、うっかり介護離職などのはめになると、貯金はあっとうまになくなるし、再就職の道もなかなか見つからないし、結構深刻なケースが多いと思います。そういうのってやってみないとわからない、というのが人間の因果なところですね。
でも歳を取るのは本当に誰しも平等なんです。親の現在は未来の自分。それを思うとおろそかにはしたくないし、後悔もないようにやり切ろうという意志にもなりますね。
海のいる風景―重症心身障害のある子どもの親であるということ
こういう本を読んでいました。
アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代
- 作者: 児玉真美
- 出版社/メーカー: 生活書院
- 発売日: 2011/10
- メディア: 単行本
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アシュリー事件のことは私も知っていました。それについて書かれた方は自らも重度障害の子供を持つ母親でした。で、今回読んだ本のこの海さん、という娘さんは私の姪と同世代、児玉さんは私と同世代。
体験してこられたことをそのまま書かれているだけなんですが、読んでいる最中にも読後にも感じた不思議な暖かさはなんだろう?と思っています。重いテーマであるにも関わらず、課題は残るとしても、読後の暖かさは変わることなく。
障害を持つ子供や人は、精一杯に自分なりに努力をしています。それは健常者視点からだと見えないくらいのわずかなことかもしれないけれども、感受性の豊かな人はそれに敏感に気付くことが出来ます。そして静かに応援しながら見守ることも、陰ながら配慮することも出来ます。もしかしたらそれが一番大切な関わりかもしれません。
あれだけの悲惨な事件の直後で、私にはそれが消えない光のように思えました。いのちの光、ですね。
闇をもたらすのも、光を見いだすのも同じ人間…。自分の中にも存在する闇を払う強さを持てた時、人は他の誰かを(とりわけ弱者を)守る光になれるのかもしれません。