お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

飛びたい、という本能

暑さで発狂しないかと危惧しつつ、どうにかこうにか無事に午前中の用事を済ませてこれました。ものすごく疲れたけどほっとしてます。でも今日はお絵描きの続きをする余力はなさそうですが… (ーー;)

いまどきのジブリアニメのモデルだという堀越二郎さんてどういう人だ??とちょっと検索していて、「本当はパイロットになりたかった。でも眼が悪いから諦めた」という記述にぶつかりました。…これって私の父が同じこと言ってたなあ、と。

父は1930年生まれなので、堀越さんは一世代上になりますね。そのあたりに気付いたところで、堀越さんのことはどうでもよくなってしまって、(すみません)ちょうどお盆でもあるし、父の思い出に浸るのも供養だと開き直りました (^_^;)

父も本当はパイロットになりたかった人でした。視力のせいでそれが無理なら、設計でも整備でもいいから飛行機の傍で仕事がしたかったようです。なんつーかもう、本当にひたすらに飛行機が好きな飛行機馬鹿とでもいいますか…。

うちは代々、学者かエンジニアの家系のようですが、なにか大好きなことに夢中になると、しばしば他に眼が行かなくなるあたりは共通してますね。学者もエンジニアも (ーー;)

父がなぜ飛行機関係に進まなかったのかというと、やはり少年時代に終戦を迎えたことや、10代の頃に肺浸潤になって1,2年の療養を余儀なくされたこと、それと家庭の経済事情もあったと思われます。で、結局はごく普通のエンジニアとして飛行機とは無関係の職場で働くことになります。

飛行機は今度は「趣味」になりました。我が家のボロい天井、ここへ越してくる前の借家の天井にもありとあらゆる国の戦闘機や旅客機のプラモデルが吊り下げられていました。見事に飛行機ばかりです。

海外出張も飛行機に乗るのが楽しみだったのでは?と思われるふしが多々あります。飛行機のエンジン音ばかりのテープを嬉々として聴くなんて相当なマニアでしょ (^_^;)

いまとなっては、父とは鉄道の旅行は何度かしましたが、飛行機での旅行が出来なかったのが残念です。(まあ、母とは何度か行っているからましかな)

いつだったか、20年くらい昔のことですが、他の家族はいなくて、珍しく父と2人で家に居て、私が録画しておいたビデオで映画を観ていたことがありました。「ザ・ライトスタッフ」

友人には「意味がよくわからない」と言われていた映画でしたが、空と星の境界に翔る夢を形にしたようで、私は不思議に好きだったのですね。宇宙飛行士達とイエーガーと、どちらにより共感出来る?と父に聞けなかったのもごくわずかな悔いかもしれません。

どうも男性のごく一部には「飛ぶこと」が本能として組み込まれているのかもしれない、とこのごろ私は思います。

飛ぶことの基本は自由。…ゆえに国境もイデオロギーもすべて邪魔にしかならないという感覚なのかもしれないなあ…。

ヒトであることの哀しさで本物の鳥にならない限りかなわない完璧な自由なのですが…。

パパ、いまどこにいる…?そこにはきっと不自由なんて存在しないよね…。

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