お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

あれから10年

ホルモン治療の影響か、このところ母が調子が悪いということが多いので、弟と二人で車で買い物に行くことが増えた。弟と一緒だと目的のものしか買わないので、用事が早くすむけどさ、ウィンドウショッピングを楽しむ感覚って男にはないようで、いくらか欲求不満が残らないでもない。買い物を楽しむのはやっぱり女同士じゃないと駄目だなあ。以前は母と二人で買い物して、ついでに外食して、というのを年に何度かやっていた。でも去年は私が鬱で外出出来なかったし、今は母が鬱だから駄目だし…また早くそれが再開できるといいなあ。

でも今日はやっとインクカートリッジとお鍋が買えたぞ♪

Web拍手ありがとうございます。

 …………………

このところよくテレビでも特集をしているけれど、あの阪神淡路大震災から明日で10年になるんだね。

10年前。その当時は離れになる自室で寝ていたんだけど、生まれて初めて体験する震度5に飛び起きた。あわてて両親の寝室に行くと、今思えば笑えるけど、父が枕元の和箪笥が倒れてこないように押さえていた。一旦弱まるかと思えた揺れが再び強くなって恐怖心がつのる。とても長い時間のように感じた。

まず私はとうとう東海地震がきたのか、と思った。京都でこれだけの揺れならば首都圏や東海地方は壊滅的打撃を受けたのではないかと想像してしまった。

不安定に積み上げてあった自室の本の山は一斉になだれ落ちて、足の踏み場もない状態。やがてぽつぽつとテレビの情報が入るが、震源地は神戸方面だと言う。ちょっと意外に思った。おおかたの関西人と同じように、近畿でそういう地震が起きるとは思っていなかったから。

続く余震で足の震えが止まらない。情報を聞きながら崩れた本の山を片付ける。神戸方面に在住の友人知人のことがひたすら心配。電話番号を知らない知人の所へはとりあえず葉書など出してみる。返事が返ってくるまで心配だった。

その時、同人関係の知り合いのお宅が倒壊し、お父さんが亡くなられ、その知人も怪我で長期に入院のはめになっていた。それを知ったのはかなり後のことになる。でも、やっぱりそういう時に出来るのはわずかな義援金くらいしかないんだよね。体力に自信があって、パニック障害の持病もなくて、仕事もしていなければ、直接行ってできることもあるんだろうけど。

震度5の揺れは築30年あまりの我が家にも数カ所の壁のひび割れの被害を残した。その補修と非常用品や水の買い出しに右往左往していた我が家。

人々の不安が重なってデマが飛ぶ。また非常に大きな規模の余震が来る、という噂が猛スピードで流れ、パニックしそうになっているうちの家族。その時初めて気象協会に電話してデマだと確認までした。

あれこれと思い出すととても大変だったあの頃。でも被災地の人々の大変さにはとても及ばないけれど(汗)

生前、祖母が「京都はなあ、大きな地震や洪水がないから、天子さんが都を作らはったんやで」と言っていたが、それは違ってたよ、おばあちゃん。

あれ以降、貴重品はすぐに持ち出せる場所に置き、浴槽の水は常に満杯にしている。マメに地震予知情報のサイトにもお邪魔するようになった。でも家が倒壊したらどうしようもないのは事実。自分達で出来る範囲というのは、金銭的な限度があるから仕方がない。いざという時には本当に運命に任せるしかないよなあ、と改めて思うこのごろである。

難しいとは知りつつも、やはり地震予知には期待しても無理はないかなあ、と思う。日本中、いまはすべての地方が地震活動期。

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.