師走らしく、ちょっと寒くなってきた。それでもやっと平年並みらしいから、今年はあったかいのね。そろそろセーターを出そうか、ストーブを出そうかと考え中。今朝の自室の温度は10℃だったし。
それよりもお湯を使いだすと手荒れがひどくなるのが痛い。あかぎれにしてもひびにしても。ハンドクリームが追い付かない。
今日は自分でもぬりえの作品を塗ってみたりしている。十二単だととてもカラフルになるPhotoshopのパレットが地味なこと。洋服になると途端に私自身の好みの色が反映するみたいだ。モノトーン中心になってしまう(汗)まあ、カラフルな色が似合うキャラではないけれど。
★Web拍手ありがとうございます。そろそろお礼画面も変えたいと思いつつ、なかなか手が回らなかったり…(汗)すみません。
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このあいだ、他所の掲示板で「あっぱれな敵だからこそ討たれたい」という台詞を引用して、はて、あれはどこにあったのかと必死で思い出した。
…成田美名子さんの漫画「花よりも花の如く」の中だったのね。正しくは「あっぱれな敵(かたき)だから討ちたかった」という台詞で、平家物語のエピソードの感想を主人公が語っている部分にあった。
お能の漫画で、能の素材には平家物語がとても多いから、そういう話があってもおかしくはないんだけれど、この台詞は妙に印象に残ったのだった。
「あっぱれな敵だからこそ、討ちたい。討たれたい」という気持ちは理解出来るなあ、と思う。
現代ならスポーツの世界に置き換えてみるのが一番わかりやすいだろうか。好敵手がいる、という嬉しさ、悔しさ。あっぱれな奴だから、勝ちたい」と思うこととかね。逆に負けても遺恨が残らないというか。相手に対して一目置いているから、次はまた負けたくない、と思う。だから相手にも全力で勝負してもらいたい、という気持ち。自分の誇りと相手の誇りは同等の重さで。
こういうことは仕事の分野でもあるだろうな、と思う。敵を「あっぱれ」と思うのは相手に対して素直な敬意がなければ出来ないことだろうし、相手の人格を大切に思うからだし、そういう時はまた自分自身のことも大切に思っているということで。1対1のフェアな勝負。そういう人間同士だから、お互いを高めあうこともできるんだよね。切磋琢磨できる好敵手を得られるというのは人生の大きな価値ではないだろうか。命そのものを大切に思えるということだし。
平家物語の美学、とでもいうのだろうか。あの時代にはそういう戦が存在したんだなあ。敵ながらあっぱれな奴、と評することができる美学。それは現代の我々の中にも存在していて、だからこそ共感出来るのだろうし。そういう勝負ができたら、と思う。
大量破壊兵器の時代になって、無差別テロも珍しくない時代になってしまった今では、戦争の中でそういう綺麗ごとはもう求められないのかもしれないけれど。いかなる理由があったとしても、現代の戦争には美学のかけらも存在しなくなってしまった。それだけ個々の命が軽くなってしまったのだろうか。
もしかしたら「美」を感じるということは、生きている実感そのものなのかもしれない、とふと思った。
中学生の時にはまっていた平家物語、もう一度読み直そうかなあ。