つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

悩ましい現実&2冊の本

昨日から悩まされている頭痛にロキソニンがちょっと効いてきたので…。…でも慢性的に非常にしんどい…。

 昨日、母が内科に行ってきて、まあ、血液検査の結果はさほど悪くなかったみたいなんだけど、「ずっと寝てなさい」と言われたとのこと。ところがうちの場合はそれが無理で、どんなにしんどくても最低限の家事は分担してでもやらないといけないし、買い物も必要だし、(これは毎回私が泣きながら行っている)、結局のところ、誰も安心して寝ているわけにいかないのが現状。誰も元気な人間がいないんだし。

こういう時にみんなして入院出来たらいいのかな?と思う。生活リズムや時間帯がバラバラだけど、それに気を使わないでいいし、食事の支度も片づけもしなくていいよね〜、と思ってしまったり。

でもこれも実際には無理。仮に高額医療費負担制度を利用しても、馬鹿にならない金額になってしまうから。3人分の余裕はどこにもないなあ。だからこれも無理ってことだよなあ。2人以上の家族が具合悪くなることってあんまりないと思うんだけど、もしもあったら皆さんはどうしているんだろう?と、ちょっと知りたい気がします。生命保険の入院給付とかも、先になんとかしてくれるわけじゃないし…。

「誰かひとり」なら大丈夫なんだ。でも全員、となると本当にどうしようもなくなる傾向にあるよなあ。ましてや精神科は長引くだろうし…。ああ、でも切実に動けるだけの気力が欲しいです (ーー;)

 これはKindle本。ポスピスで多くの終末期の患者さんを看取ったまだ若いお医者さんの著書。

まあ、大体ホスピスに入院される方はガン末期の方が多いと思うのですが、いわゆる「余命」というものを知らされて、もしくは自分でそれを悟って、それでも動揺もなく淡々と受け入れることが出来た人は100人に2人くらいだそうです。(この人数、確認していないので違っていたらすみません。1000人に2人だったかも。Kindleはここが不便だな)「もっとこうしておけばよかった」「ああしておけばよかった」と悔いを残すのは人間なのかもしれません。

特に日ごろから元気で、自分や家族の「死」について考えてこなかった人の方が動揺が大きいのは当然でしょうか。

病気を受け入れて(闘うという姿勢ではなく)静かに残りの時間を悔いなく過ごす人の方が、不思議なことに病気の進行も遅く、当初の余命よりずっと長く生きられたケースが多かったそうです。…なんだかわかる気がします。やっぱり生と死は対になるもの。死んだあとのことはどうでもいいですが、きちんとエンドマークをつけるために、人生のラストを想定して生きる心構えは必要なのかもしれません。

 著者の矢野祥さんは現在はすでに成人しておられます。ちょうど私の甥っ子と同世代だなあ、と思いつつ読みました。

んー、なんというか、ひとつの理想的なご家庭を垣間見させていただいたような気分になった本でした。

日本人の青年と韓国人の女性が留学先のアメリカで知りあい、結婚してそれで誕生したのが祥さん。4歳の時にIQが200を越えていたとかで、普通の幼稚園などでは合わないだろうと小学校へ。で、飛び級で(この制度は羨ましい。日本でもあればいいのに)9歳の時には大学生になっていた、と。ご本人がIQというのはたいした問題ではないと言われてますし、そのとおりだとも思うけど。

すばらしいなあ、と思ったのがご両親の姿勢。常に子供の好奇心を失わせず、飽きさせず新たな興味に誘うのが素敵だと思います。祥さんにとっての勉強は「ワクワクするもの」だったに違いないでしょう。彼はピアノとテコンドーも習っていて、やはりいずれもワクワクさせてくれるものだったようです。幸せですね (^_^;)

そういえばこのご家庭にはテレビもゲームもありませんでした。テレビはもしかしたらあるかもしれないけど、少なくとも誰も見ていません。だから夕方や夜の時間は読書やものづくりなどで(もりろんピアノレッスンとかも)静かに過ぎて行くご家庭だったようです。

これらの環境、ものすごく羨ましい環境なんですが、同じように出来る人ってどれくらいいるのかなあ?と、ふと思いました。

日本人全体の学力の低下が懸念されている現在。必要なのは塾でも英才教育でもなく、まずこういう環境を作ることではないかしら?と私は思うのですが。

うちの親も子供にむかって「勉強しなさい」とはただの一度も言ったことがないな。それだけでもましかもしれないかな? (^_^;)