つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

特別な価値観

 ぽつぽつ雨になってますね。もっと冷えると雪に変わるかもしれません。

今日は忙しかったです。予定通り(?)におむつ交換に追われているのと、マッサージの先生だけでなく、ケアマネさんの来訪もありましたし。それらが終わるとあっというまに一日終わってしまいます。嶺 

 まあね、ケアマネさんの来訪はいつも予告なしなんですが。日常の普通の様子を見るのには突然行くのがベストだそうで。うん、それはあるけど、予定が崩れて多少なり慌てるのもあるよねえ…。なんのことはなくて、いつも世間話がメインですけど。うちにはケアとか介護関係の指導をしたことないですね。任せておけるから。ということで、母の糖尿と高血圧についてのアドバイスをして行ってくれたケアマネさんでした。

Web拍手ありがとうございます。

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昨年、離婚したばかりのケアマネさん(でも私より一回りくらい若い)と世間話していて、自分の人生の選択の過程において、いつも自分が一番大切にしてきたものというのを改めて認識してしまいました。それはおおかたの一般的な人生の基準からはかなり外れていて、私でなければそういう選択はしないんだろうな、というものでした。

選択の過程というのはいろいろと何度もありますが、進学、就職、結婚などなど、それら全部の場合について、私はなにを差し置いても「絵を描き続けられること」を一番の条件にしていたことでした。

「絵で稼ぐ」という目的はないんですよね。まだデザインの方ならば収入に結びつけたい意思はありますが。自分が一番大切で、一番守りたいものだから、それを収入にしたくなかった、ということなんですね。

別にお金に替えることが悪いことだという認識もないんですが。労働は正当な評価を受けるべきだと思うし。

この認識はすでに中学生の頃から存在していて、自分の中のプライドを支えるものであり、それさえあれば他はなんでもいい、とすら思うほどのものだったんですよね。才能とかそういうのとはまったく関係のない価値観で存在する特別なものだったんです。

適性のあるなしは別にしても、どうも私の魂の基本にそういうものが刻印されてるみたいです。どうもそうとしか思えないんですよね。どういう因縁があるのかわかりませんが。

子供の頃など、ほとんど無自覚で無意識の中にあっただろうと思うのに、その機軸は今に至るまで何十年ぶれたことがありません。それほどに自分そのものだということなんでしょうか。

ですからいまだに自分の作品に価格をつけるのが非常に苦手です。嶺 かといって他人に評価されるのもあまりに安価だとたちまち自信喪失しますし、高すぎるのも怖いですし、出来れば金銭的な価値からは離れたところに置いておきたいといつも願っています。

でも気の合う友人やお知り合いに対しては気軽にプレゼントしたり、交換したり出来るから、いかにも私らしいとまた思うんですが…。そういう形の交流が得られるのがベストだなあ、といつも思います。

しかしながら、時々は金銭絡みの話が出たりするのも仕方のないことで、そういうのは本当はうっとおしくて、出来ればそーっとしておいてください、と心の中で願ってしまうのは我儘なんでしょうか…?蓮