晴れたり曇ったりしてますが、今日あたり、近畿圏や中京圏や首都圏あたりはお花見日和なんでしょうね~。気温もまあまあな感じかな?
私はやっぱりどこかに出かける気力がないので、買い物ついでのどこかの庭のお花見がせいぜいですね~(^^;)嶺
今朝はいくぶんゆっくりと寝ていましたので、買い物と言っても100円ショップに食料調達に行っただけなんですが…。相変わらず国道やご近所はいつも工事中で車が邪魔だし、少し出てきて帰宅後、すぐにしばしのダウン…。やっぱり地球の引力というか、重力というか、それにしっかりと負けてるなあ、と痛感します。輦
昨日も夕方に疲労倦怠感がひどくて、胃腸の具合もいまいちだったので、お布団に早めにもぐってました。怜
2時間近くごろごろしていて、やっとましになったので、再度起きて夜にごそごそしておりましたが…。能率もなにもあったもんじゃないですね。自分でも情けない限りです。蓮
が、昨夜読み始めた「対象喪失」という本で、それが死別とか離別とかアイデンティティの喪失とか、亡命とかそのたもろもろ、ケースは多種多様ですが、特に50代後半以降の年代で配偶者と死別した場合などは、それが死に至るケースになることもある、というのに納得してしまいました。
この本は30年も前の本なので、今現在とはいくらか違うかもしれませんが、うちの両親などはその昔ながらのケースになりそうな気がします。まだ父の方が先に亡くなっただけましでしょうね。逆だったら悲惨だろうな~、と想像出来ますが…。怜
30年前だと現在よりも「病院で死ぬ」ケースがもっと多かったと思います。だから本当に死に目に会えなかったり、実感がなくて「死というものがわからないから」殺人犯罪を犯す人がいたりするんですよね。生病老死のマイナス面にあえて眼を向けていなかった結果だと思っても仕方がないなあ、と思います。怜
うちは本当にその神聖な瞬間にずっと立ち会えた幸福な家族ではありますが、その最中は本当に無我夢中だったことでも、今になってみると反動がどーっと来ているような感じですね。嶺
最たるものがこの疲労倦怠感なのかもしれません。悲哀によって免疫力が低下するのは当然のことですし、それが生死に関わるダメージになっても不思議ではないけれど、すくなとも「関わらない」とか「見ないふりする」などしなかった分だけ、あとで堪えてしまうのは当然かなあ、と思います。
ちょっと検索するとグリーフケア関係の本がたくさん見つかりますが、やはり肉親との死別は人生にとってそれだけ大きなことなんだろうな、と納得出来ますね。
だからまだまだ私は当分の間はぐずぐず言っているだろうと思います。(開き直ってみたりして…(^^;))嶺
でもね、絵があるから、それがある限り立ち直れるかなあ、とも思うんですね。大切なものはしっかりと残っていますから、それが幸せだなあ、と改めて神さまに感謝してみたり…。烈