お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

あっというまの30年ー阪神淡路大震災

 

今年は阪神淡路大震災から31年目になるんですね。平成元年生まれのマッサージ師さんに聞いていろいろ思い出しました。まあ、生まれたかどうかの頃ですと、昭和天皇の大喪の儀とか知らないですよね。東京はみぞれ間近の冷たい雨が降っていました。会社が休みになったので仕方なくテレビで中継を見てました。

 

あのころのテレビはまだ亡き祖母が「何を見ようとままやなあ」と感慨にふけっていましたが、明治の人には並みならぬ驚異の世界だったのでしょう。あのころのテレビの内容はまだ見るに値するものでした。

 

 

で、1月17日早朝。まだ寝てました。京都でも震度5以上の揺れははじめての体験。自室のこたつや机の上で平積みになっていた本の山が見事に雪崩落ちて退路を塞いでくれました。それをどけながら抜け出して両親の部屋に行くと父が和ダンスを押さえてました(^^;)←これはNG。

 

あの震災ではとにかく火事がひどくて,燃えている建物の下にまだ救助出来ていない人もいるかと思うとかなり胸が痛みました。

 

本震から1,2日後,義妹から子供のママ友を中心として,電話網で明日にでもまた大きな地震が来る、という話が拡がっていると聞きました。「それ誰がどう言ってた??」わからないということで、下手するとデマが拡がる危惧があると思いました。

 

まだネットがあまり普及していない時代です。

 

ここはもう専門家に聞いてみよう、ということで、NTTの分厚い電話帳で調べて、「きっとこの方なら」と思った京大地震研究所(多分当時は)の梅田先生に直接電話しました。まだ,携帯も普及してないころだったなあ。で、お尋ねして「可能性はゼロじゃないけどいまのところのデータでは過度に心配いらないと思う」という趣旨のお返事をいただきました。(細かく覚えてなくてすみません)

 

で、義妹には「それ伝えてくれる?」と頼んでデマの極端な広がりを防ぐことが出来たと思っています。素人の言うことは信じてもらえないと思って、専門家の知識と権威(?)をお借りしました。あの時は本当にありがとうございました(^^)

 

さらに1、2日後に地元の新聞が「デマに躍らされないように」という注意喚起の記事を載せました。微妙に遅かった気もするけど(^^;) 

 

ネットの時代はデマも比べようもないほど早く拡散しますけど、だからこそ気をつけないといけないという勉強になりました。初期消火の重要性ですね(^^;) ネットの時代なのデマにはかなり気をつけています。

 

その後の私、動物達の能力に感服し、よく観察するようになりました(^^;) 宏観異常現象に気を付けています。

 

あれからそんなに経ったんだ。その後仕事で神戸に行ったことがありますが綺麗に復興してました。その辺は都市だから余計にかもしれませんが。ごく幼かった甥っ子がいまは他府県でレスキューの仕事をしているくらいに。なんだかあっというまにも思えます。

 

頻繁に起きて欲しくない災害です(-_-;)

 

 



 

生成AIのイラストです。架空の都市になっていると思います。
レスキューの服も日本のものではなくて、やはり架空のものだと思います。
でも思い出して辛いと言う方は以下をスルーしてください。よろしくお願い致します(^^;)

 

 

 

 

 

AIって瓦礫を描くのも嫌味に上手いな。直接に見て傷つく人には間接的なイメージ伝達は可能だろうか??

 

生成AIの活用はマジで表現の幅を拡げてくれるから助かっています(^^) たぶんここに「なにをどう伝えるか?」が入って来るのが現状だと思います。いわゆる「魂」というやつですね。そこは当分は人にはかなわないと思いますが。

 

 

 

 

 

 

今日はメンクリ受診です。やっぱり半日がかりでしょうね。

まだあと内科も皮膚科もあるけど……(-_-;)

 

 

 

良き人たちがいる場所へ

 

居心地のいい空間

 

いまは昔。お正月に伯父の家に挨拶に行くと近辺の親戚が大体集まっていて、ビールを飲みながらご馳走つまんでよもやま話に余念がなかった。でも従姉たちや私がお年ごろになっても結婚とかそういう話がまったくでなかった。男性陣は仕事や研究や「いまやっている興味深いこと」の情報交換みたいになっていた。父もおおいに勉強になると楽しんでいた。なんかうちの親族はこういう感じかも(^^;)

 

私がその末席にいてもきわめて自然で居心地がよかった(^^;) 女だからどうあるべきか、ということもないし。あんまり俗っぽい流れにならない不思議な空間でした。

 

 

伯父は祖父が失業中でもせめて高校に行きたいと言う母のために「僕がタバコをやめるから、それで行かせてやってくれ」と言ってくれた人です。恩人です。

 

穏やかで理解が深い伯父もおととし99歳で逝き、やはり良き理解者のデザイン会社の社長さんも一昨年、母の親友のTさんも去年、次々に現世から旅立ってしまわれた。理解あるよき人の死はこたえる。

両親もしかりだし。

 

まあ、それだけ深く関われたことは幸せですが(^^)

 



読むことと学ぶこと

 

 

ずいぶん本を読んできたと思うんだけど、もちろんすべてを覚えてもいられないけど、最近ぽこっと突然に意外な言葉が飛び出したりする。しかもわりと的を得ていたり、普段は使わないから新鮮に思える単語だったり。

 

読書というのは記憶の何処かに潜んでいて何年何十年経っても浮かび上がって出て来たりする水底の湧き水みたい。自分の過去からの贈り物のようだとも感じる。面白いね(^^)

 

 



「学ぶこと」は自分を知ることなので、強要される受験と違って基本的に楽しい。この歳になると選択の基準を「楽しいこと」にするとまちがいがないですね(^^) 生成AIなども楽しいからやってるんですが。

 

思えばうちの親族って誰も「勉強しなさい」と身内に言われたことがないと思う。やるのなら自主的に自分なりの方法を見つけていた感じです(^^;)

 

 

 

そのまま静かな空間がいいな

 

ずーっと読書ベースで生きてたので、ネット経由の音声が入るあれこれが苦手です。動画も基本的に動物ものだけで殆ど見ません。音楽もお絵描きのBGM以外では聴きません。

 

AppleのSiriの無断録音がどうこうと言う話ですが、私はいまだにSiriも使ったことがありません。立ち上げたこともありまえん。androidのアシスタントもキーボードです。嫌いだからビデオチャットもやりません。やらない自由もあっていいと思います。スマホも電話機能があればいい感じだし。

 

緑が多くて野鳥も多くいるここの環境は気に入っています。不便だけど(^^;)

 

 

 

去年、生成AI関連の本を4冊ほど購入して全然読めていません。私もマニュアル読めないタイプだったのでした。結局手探りでやってたりして(^^;)

 

 

 

「マジシャン」のテーマがなぜこうなるのか???

 

 

 

神さまと私個人の距離感

 

コバエがうっとおしいので昼間からバルサン焚きました。でもまだいる。ゼロにはなっていません。全部いなくなるのかなあ?これ。 冬ですが私はここしばらく微熱があります。温度差か軽い鼻風邪かわかりませんが、しんどいのはしんどいね(^^;)

 

 

予想はしてたけど

 

この団地は国道沿いに経っているために救急車の往復で医療逼迫がわかります。

 

救急隊のみなさまへ

救命救急室のみなさまへ

 

両親が要介護5の状態で長年介護しておりますと、どうしても急変は避けられず、寝たきりでもありますし救急車のお世話にならざるを得ませんでした。訪看さんがかかりつけの先生の紹介状を持ってバイクで追いかけてきてくださったこともありました。十数年の間に20回くらい。父の手の指先から秒速でチアノーゼが拡がっていくのとか怖かったです(;_;)

 

それだけお世話になっているので、救急の状況が改善するといいとずっと願っておりますが……。救急の場所で救急対応をしているうちに私の30年越しのパニック障害寛解してました。人のために走ったおかげだと思います。もろもろ感謝にたえません。ありがとうございます(^^)

 

公式発表(?)でも信じられないものは信じない。

コロナの始めからずっと人と会う時や外ではマスクをはずしていません。

 

 

神社は基本的にペット禁止じゃないかな

 

 

 

犬はきつねの天敵だからおいなりさんに連れて行ってはダメ、ということで「神様に喧嘩売ってる?」と書いたら「それは言い過ぎ」みたいに投稿した途端にポストが消えました。こういうのは神様か守護さんの検閲が入ったんだと感謝しています。おかげでこういうTwitterの世界でも平穏無事に過ごせています(^_^;)

 

そうか、これはNGかと思うと怒りも出来ないし、怒らないし。その後も気をつけるので。文章についてはわりとよくあります(^_^;)

 

現実にこういう小さなストップがかかることがありますが、それはちょうど神さまか守護さんからのサインだと受け止めています。すべての小さなものごとが非常に上手く運ぶ時は神さまのご加護だとも思っています(^^;)

 

なんか親しみが(^^;)

 

 

 

うかさまのファンなのでこういうのも推し活の一部の感覚(^^;)

 



身近な自然がほぼ神さま?だったころ

 

昔、母の実家はまわりに田んぼが多かったからからか、小さな庭に巳(みー)さんが祀られていました。多分普通のアオダイショウだと思いますが。、母の子供のころはよく天井裏を這う音がしたそうですです。ネズミを捕ってくれるので、それなりにありがたい存在ではあったみたいです。

 

母が大人になってからもパートで伯父の工場を手伝っている時に、もともと庭で屋根をつけたスーペースで働いていると、みーさんがでてらした。「そういう時にどうしたらええと思う?お線香に火をつけてそーっと近づけるねん。そうしたらそーっと帰らはるし。」みーさんはお線香の煙が苦手らしいです。

 

今よりも身近な自然が存在していた時代。自然の神さんはごく身近におられました(^^)

 

私も10代で療養してたころ、遠野物語が好きで民族学に心惹かれていたのを思い出します(^^;)

 

 

 

 

 

 



 

 






 

 

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