つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

言うは易く行うは難し

 

 

 

 

このツイート、創作に関することなんですが(漫画家さんらしき感じ)、

他のジャンルでも言えることかもなあ、と思ってしまいました。

 

たとえばブログでも。

やり始めるラインはわりと低いですが、毎日続けるのは大変で

それを何年もとなるともっと大変なんですよね〜。

 

いや、もうちょっと自信を持ってもいい気がしてきました (^_^;)

 

創作も続けているから余計に、かな? (^_^;)

 

 

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既成概念を壊す役目を背負っている気がする

 

ひそかにファンしています


私はあまりおおっぴらに声をあげたり行動したりしないので、気付かない人もたくさんいらっしゃると思いますが、お人形以外にもジャニーズも羽生結弦くんも好きで応援しています (^_^;) あ、ただし、ジャニーズは限定グループがあって、少年隊から、SMAPTOKIO、V6、KinKi Kidsあたり限定ですが…。

 

それでもって吉田秋生さんの「BANANA FISH」がアニメ化されるというのもひそかに楽しみにしています (^_^;)

 

natalie.mu

 

現在、見ているアニメは「夏目友人帳」と「妖怪アパートの幽雅な日常」くらいですけど…。まあ、これらもひそかに楽しみにしています (^_^;)

 

youapa-anime.jp

www.natsume-anime.jp


…いや別に内緒にしておくつもりはないんですが、同じように楽しんでくださる同世代って少ないので…。

 

「いえ、ジャニーズ好きな高齢者さんは少なくないです」とケアマネさんはおっしゃってますが… (^_^;) でもアニメとなると私たちよりのちの世代のものだと感じてしまうしね… (^_^;)

 

ん?いま気がついた。「夏目友人帳」も「妖怪アパート…」も人外のものが結構普通に出てくるアニメですよね。そういうのに癒されるのね…。だれかがコメントで「妖怪というのはそもそも人間の存在がきつくなったところから生まれてるみたいだし…」とかいうのがあって、なるほどと思うのですね。人外の存在に対するまなざしに少数派の悲哀を感じるのは私だけかしら??

 

 

自分が考えて決定する自由の大切さ

 

現実の社会でも私は少数派です。他の人と違うことを怖れないほうです。この違和感はやはり幼稚園のころから感じていました。集団の中に入るとたちまち明らかになりますね。

 

時々、私は規制概念をぶち壊すために生まれてきたんじゃないかと思います。日本の社会の中に当たり前のように存在する「同調圧力」みたいなものが耐えられないのです。

 

自分が調べた情報で、きちんと自分が考えた結果でしか行動しない。既成概念をぶち壊す使命を背負っているような気がします。納得できなければ古くからの慣習だって破ります。先祖代々の旦那寺を抜けるというようなこともやってますし。自分が納得出来なかったからです。

 

まわりがなにをどう思おうと関与しない。どこまでも自分が考えて決めたことを守る。「いい子」「いい人」になんかなりたくないですし。

 

まあですから敵もそれなりに多いし、嫌われもするし、生きづらさも半端じゃないけど、でも自分を曲げてまで生きようとは思わない。

 

 

こういう人間がもっとも大切に思うのは「選択の意思とその自由そのもの」ですね。自分が自由に選べない人生なんて偽物だって思ってしまうので…。両親が私のこういう性質を矯正しないでいてくれたおかげで、こういう大人になってしまいましたが、でも私はこれでいいと思っています。

 

すごい自分が「生きてる実感」が得られます。人任せにしないことって大事です。

 

いまはまだ機が熟していないけど、遠からず私のような価値感を抱く人も増えると思います。いろいろ変化するタイミングってあると思います。残念ながらまだその時ではないみたいですが…。

 

既成概念に捕われず、自分の頭でしっかり考えて判断が出来る人が増えてくると思うよ。そうしたら社会も世界も少しずつ変わってくると思います。

 


早過ぎて理解されない宿命を背負っている気がしますが、まあ、私の場合は自然にありのままに生きているので、これで間違っていないと思います。納得いかないことには動かない。当たり前のことですよね。たとえ自分が選んだことが間違っていても責任は自分にあるだけだし。

 

普通に生きるだけってつまんないし〜 (ーー;)

 

「世間や大人が望むいい子である必要はない」という方向性を伸ばしてくれた両親に感謝しています (^_^)

 

 

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時間を効率良く利用するための私の勉強方法

 

台風迷惑


今回は雨台風で被害が出ているようですが、みなさまのところは大丈夫でしたでしょうか?

 

私は頻繁にくるエリアメールの音に起こされて寝不足です。なぜかあの音はよく聞こえました。雨の音があまり聞こえないので、自分が感じることと、被害勧告とのあいだにものすごい距離のようなものを感じましたけど…。土砂被害はいままでに降った雨が飽和状態に近いから起きるんだろうな。このごろ雨ばかりですもんね。

 

洗濯物が乾かないから、大物の洗濯ができなくて困っています。

 


「勉強しなさい」と言ったことがない親

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp


昨日の話題から思い出したことですが、うちの両親は私や弟に向かってただ一度も「勉強しなさい」と言ったことがありませんでした。

 

テストの点数とか、あんまり細かいことは気にしてなかったんじゃないかと思います。父もですが、そもそも母がずっと成績優秀な優等生で通してきたため、その子供だからひどくできないことはないだろう、と考えてたんじゃないかと思います。

 

母は自分の学生時代の成績については「要領がよかった」と言っていました。まあ、母は非常にコミュニケーション能力に長けた人でしたので、先生方の覚えも非常にめでたかったのだと思います。中学生くらいの時に先生に頼まれてテストの採点をやった、とか言ってました。普通、生徒に採点はさせないよなあ…。それだけ信用されてたってことかもしれません。

 

で、小中高とずっと級長さん(クラス委員)、生徒会役員だったし。母の要領の良さは人付き合いの良さから来るんじゃないかな、と私は解釈しています(^_^;)

 

 

 

テストも要領で…(^_^;)


でも私もそれでいくとそれなりに要領のいいタイプでした。

 

小学校はのんべんだらりの日々で、学級文庫や図書室の本を読み尽くす毎日でしたが、中学生になると「もっと時間を有効に使いたい」という欲が出てきます。で、中学には定期テストが存在します。その定期テストでそれなりの点が取れたらまあいいのよね、と思った私。

 

家に帰ってまで勉強したくないと思いました。家に帰ればお絵描きしたいし本も読みたい。予習のある時は30分くらいは仕様がないけど、それ以外の日はやりたくないと思いました。

 

普通の公立の中学です。そのうちにテストの出題がとんでもないところから発生するわけではなくて、そういうヒントはすべて先生の授業の中に存在すると気がつきました。要するに授業中にすべての内容を理解してしまえばいいんだ。そうしたら家に帰ってまで勉強しなくてもよくなる。

 

毎回授業は集中して聞いてました。教科書に落書きとかもしていません。とにかく聞いたことはその時にきちんと理解できるように努力して集中しました。で、「あ、ここ試験に出るな」というのもおのずとわかってきます。そこは特に力を入れて頭に入れました。

 

だから帰宅後は好きなことをやり放題でした(^_^;) お絵描きと読書と、いまと同じですけどね(^_^;)

 


それでも親はなにも言いませんでした。それなりの点数を取るからかなあ。祖母が成績じゃなくて「はよ寝えや」というのは結構うるさく言ってましたが。(やっぱり勉強しろじゃないのね)テスト前でも一切言わない。

 

どうも効率を求めるのはその頃から私の基本だったのかもしれません。何時間も勉強していい学校に入る(具体的にどういう職業に就きたいか、まで含めて)というのが私にとっては魅力的じゃなくて、多分やっても楽しくないからダメだろうな、とも思っていたし。そのかわりに好きだったから本は乱読しましたが。

 

好きなことをするための努力は中学の頃からずーっとやってました。まだ子供だから家事雑用に手を取られるわけでもないし、好きなことのためにやる努力はまったく苦痛ではないので…(^^) それでいながら、それを仕事にしようと思わないあたりが私なんですけど…(^_^;) 我ながらブレない子供だと思います。

 

 

家に勉強を持ち帰らない

 


家でもやりたくない勉強を塾などではましてやりたくないですし。勉強は嫌いじゃないけど、目的がよくわからないことをやるのは嫌いだったと思います。だって面白くないから。面白くないことはいくらやっても頭に入らないし(ーー;)

 

高校受験前は従兄に週一で数学メインに習ってたのと、家ではもっぱら問題集をやっていました。それも毎日30分くらいね。それ以上は集中力が落ちますし。よくラジオ聞きながら受験勉強とか聞きますが、ああいうのって非効率的だと思うな。短時間集中。

 

いまの学校の授業内容はわかりませんが、私のころはそれでやっていけました。高校までね。

 

それでも読んだ本のことは結構覚えているのに、授業で習ったことってあんまり覚えてないなあ…。きっとそれは基礎の部分で縁の下にあるから、表から見えないんだと思っておきます(^_^;)

 

母から引き継いだ要領のよさは「まあ、なんとかなるわよ」という安心感のようなものだったのかもしれません。事実なんとかなってたし。勉強好きなのか嫌いなのかわかりませんね。

 

「お宅のお子さんはこのIQ(正確な数字は知りません。教えてもらってないし)でどうしてこの点数なんでしょうね?と先生に言われたわ」と言ってたことはありました。それは明らかなことで、点数がいまいちの教科は嫌いな教科だったからです。好きな科目ならプラスアルファが入ってくるもんね。

 

それを聞いてもやっぱり文句を言うでなく、子供の成績のことで悩んでいる親の姿なんて見たことなかったです。叱られたことがないのも「あんたが怒られるようなことはしないから」だそうですし。大人になってからもそれはずっと続いているので、私は親に叱られたことがない子供でした。

 

 

 

自分のうちは普通だと思ってた


そういう家庭環境が普通だと思っていたから、ネットを通して知る機能不全家族の多さにはショックを受けました。そういえばうちはそもそも両親が夫婦喧嘩をしませんでした。喧嘩してるの見たことないです。どちらかが声を荒げることもなかったし…。

 

私がなんらかの出来事で傷ついたことがあるのは学校に入ってからのことですね。いろいろあったけど、いじめには遭いませんでした。だったらどうしてこういう病気になったのか?という声もあるでしょうが、それは社会システム自体や全体的な価値観と私のそれに大きなズレがあって、それに合わせていくのに疲れたため、かなあ…と思います。

 

人が嫌いなわけじゃないのに、人の中に入ると人並み以上に疲れるんですね。こればかりは本当にどうしようもないです。だから一人でごそごそやる仕事や作業に向いてると思います。このあいだも作業療法士さんに「恭子さんは仕事が速いですよね」と言われたばかりです。それは集中力の賜物だと思います。短期集中は子供のころから繰り返し磨いているから、いまでも役に立つのではないかと思います。

 

…結局、長い人生で、あまり丈夫ではない身体を持って生まれた身としては、勉強はほどほどでいい、と思われていて、実際にほどほどで良かったんだと思います(^_^;) 少なくとも自分がそれを選んだから後悔もないですし…。

 

 

 

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自分の弱さを見つめて受け入れるのが私の人生の最初の課題だった

 

着圧ソックスで足のむくみが楽になった!

 

寒くなってきたので、2、3日前からハイソックスを履き始めました。着圧効果があるやつね。

 

item.rakuten.co.jp

 

これ、いいです~(^^)
昨日、初めて外出してよくわかった。

 

まず「靴が楽」「靴に余裕がある」履きやすい。
歩くのも楽。夏場は非常に足がだるくて、途中で立ち止まらざるをえなかった行程が、昨日はあまりだるさを感じることなく歩けました。なおかつ、耳鼻科から荷物を下げて歩いてこれましたし…。

 

なんだか嘘みたいな違いです。…っていうか、私の足のむくみってそれだけひどいんですね。秋冬春はこれで十分助かるなあ、とちょっとまとめ買いしました。わりと安価なだけにかかとなどが破れやすいので…。

 

夏場もこういうのを履いた方がいいんだろうな。でも夏は暑いからもっと涼しい素材がいいんですけど…。ストッキング素材だって暑いしなあ…(*-д-)-з

 

でもやっぱりこれはいいです。来年の夏までにこれのかわりになりそうなハイソックスを探したいですね。さすがに家で長時間リラックスしている時は脱ぎますが…。

 

 

 

みんな多様でいいんだよ


このつぶやきは本当にそうだなあ、と思いました。「普通であること」が当たり前とはかぎらないんですよね。当たり前だと思っていると感謝できないし、そうじゃない人たちに優しくも出来ない…(ーー;)

 

 

 

 

 


よく見かける精神疾患を抱える人のつぶやきに、「元気だった頃に戻りたい」とか「あの頃が懐かしい」みたいな喪失の痛みと現在の苦悩を内包したものがよくあるんですが…。

 

振り返ると私はそもそもあんまり元気だったことがないので、あんまり「元気だった頃に戻りたい」と思ったことがないんですよね。生まれてからこのかた、どこかに不調を抱えているのがデフォルトなので…。

 

普通の人よりも身体的に弱い個体として生まれてしまうと、他の人と同じに出来ないのが当たり前で、特にそれを嘆きも羨みもしなくなります。集団の中に入った時におのずとそれが自覚されます。私の場合は幼稚園の時ですね。自分の価値観とまわりの子の価値観が相当違う、っていうのがこの段階で判明します。

 

他の子にできて、自分にできないことがある。自分にできて他の子にはできないことがある。でもそうやって違っていていいんだ、と自分で理解して納得できましたし、両親もそれを応援してくれました。

 

無い物ねだりをしないで、自分の持ち前で生きようと早い段階で決意する。むしろそのことで助けられているんですね。できないこと=弱さを受け入れることも大切かもしれないと思います。

 

 

 

幼児でも悟りに近い感覚はある


それ以降、私は「人並みにできない自分」でも卑下する必要はない、と悟りましたし、他の子の得意なことは素晴らしいことだから、拍手に価するとも思いました。

 

卑下しない、羨まない。自分のできることを大切にする。他の人の長所に敬意を払う。

 

幼児の時にそれが完成していた気がします。

 

それ以降に思春期に身体的な病気になって、進学どころではなくなっても、大人になってからこういう精神疾患になっても、普通の人よりは落差が少ないから、あんまりショックじゃなかった気がします。だから焦らないけど諦めない。

 

それでも人の役に立つことはしたいと願ってしまうし、多様な働き方が可能な社会というのも必要だと思いますし…。まあ、そういうこと考えるともどかしい気はありますけどね。

 

 

 

お天気悪いからドールの撮影ができません。やっぱり窓から自然光を入れた方が綺麗に撮れるし…。

 

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