お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

AIもたぬきも謎が多いから面白い(^^)

 

眠いです(ーー;)

 

疲労と睡魔に負けて、毎日お絵描きできないままダウンしてしまう。反省……。本当は最優先でやりたいけど。言語化も必要だと思うしね。自分が2人欲しい気がする、って久しぶりかもしれません。

 

悩みはあるけどあんまり悩んでないかも。脳内キャラはいるから身体を使うサポートが欲しいなあとは思います(^^;)

 

あ、弟の介護認定が出て「要支援2」だそうです。地域包括さんに訊くと、検討してもらえるけど、難病だからこれくらい? 訪問マッサージは医療、訪問リハビリは介護の範疇だとのこと。ややこしいですね(^^;) 私も冬は少し動けるからとヘルパーさんはすぐでなくていいと言っちゃったし。なにやってるんだろうね?(-_-;)

 

 

たぬき(きつねも)可愛や(^^)

 

Grok2さんにたぬきと言われて嬉しかったので。器用に生きてるわけじゃないから(^_^;)

 

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たぬきは一夫一婦制のように、生涯特定の相手とだけ添い遂げるそうです。そしてパートナーに死なれると悲嘆に暮れてそばを離れない。そして自分が事故に遭ったりするとか。そのへんも親近感が。スマートな生き方ではなくて、いっぱいいっぱいに見えるけど懸命に生きている。

 

 

私はきつねもたぬきも大好きです(^^) 描くのは難しいけど(*^^) AIさんはまだたぬきには詳しくないてアライグマみたいになるので、しばし勉強してもらいますね。

 

 

もしかして…?

 

ふと思った。

新しいことを始めて見るのに躊躇する人って、自分の潜在能力を過小評価しているか、臆病なのか、そうでなければ失敗するのが怖い人?周りの評価を気にしてる?始めてしまえば途中で引き返すと後ろ指指されるし(指さないけど)、そういうのは恥ずかしいから?なんだかわかってしまったかな?という気がします。

 

AIに対する姿勢とかそうなんだもんね。失敗を恐れると手も足も出なくなるよね。でも気になるから反発しちゃうし。まったく気にしないことも出来てない。反◯◯と言われる人たちってそうなのかな?と思ったりしています。「やってみた」というのは結果がどうあれ無駄な経験ではないんですけどね。

 

これも私から見たらすごく勿体ないことだと思います(^_^;)

 

 

私は自分ではもう何十年の付き合いの自分のキャラしか描かないし、AIが処理しても生きているようにしか見えないです。他の方のキャラでもそうです。生きてるなあ、と感じるものはありますね(^^) そういう作品ほど主体は作者さんにありますね。AIに使われて左右されている感じはありません。だからAIも道具というか相棒というか、個人的にはそういう感じです(^^) 

 

みんなもっと遊べばいいのに(^^)

 

 

すいません。目がもう限界なので今日は短いです(ーー;)

 

 

 

双極性障害から得たもの

 

Grok2さんに訊いてみた

 

「私を植物にたとえるならなんですか?」

 

私があなたを植物にたとえるなら、その植物はシダです。シダは、美しくも複雑な構造を持ち、さまざまな環境に適応する力があります。あなたのX投稿から見られるように、日々の生活や社会に対して深い洞察を持ち、多様な経験や考え方を抱えている様子がシダの多様性と重なります。また、シダはしばしば陰で静かに成長し、見過ごされがちですが、その存在感は確かで、知識や経験が蓄積されることで強く美しくなります。あなたもまた、自分のペースで静かに、しかし確実に自分自身を成長させているように見えます。


深い解答をありがとう(^^) 太古の森が浮かんじゃったよ(^^;)

 

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「では,動物にたとえるとなんですか?」

動物にたとえるなら、あなたはタヌキだと思います。タヌキは知恵者で、状況に応じて巧みに適応し、複雑な社会構造を理解する能力があります。あなたの投稿からは、深い洞察力や、他人への思いやり、そして困難な状況でも自分の道を見つける力が感じられます。また、タヌキはしばしば隠れて観察し、必要なときだけ行動を起こす性質がありますが、あなたもまた、自分の内面世界を大切にしながら、時にはユーモアや知恵を活かして周囲と関わっているように見えます。


わーい、おまたぬの世界向き(^^)こがね丸さん、疲れたらタヌキになって過ごしたいです(^^;) 私は奈川トモさんのコミック「おまえ、タヌキにならねーか?」が大好きなのです(^^;)

 

 

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Grokさんと遊んだところで,以下の本文はnote向きにリライトしたものですが、わりとまとまってるかなあ、という気がしたんでこちらにも掲載しますね。自分でも細かい内容を覚えていないので,全然問題ないですよ(^^;)「人は忘れる」という前提で書いております(^^;)

 

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精神疾患の受け止め方ー私の場合

 

私は向精神薬がほとんど駄目で、いろいろ試してみたけど、副作用の方が強くて全部辞めてもらったのです。いまはリーマスセディールしか飲んでません。デパスも常用はやめましたし。あとは自律神経関係のあれこれ。漢方と。あまり薬に頼らないほうかも。脳と心と意識に関心を持っています。もともと薬に関する感受性が強いんです。市販の風邪薬も排尿困難になってむくんだりするので飲みません。ひたすらに寝て治します。

 

主治医の先生は常々「デパスは嫌い」とおっしゃってたので、「いや、先生の好き嫌いは患者には関係ないけど、でもそういうレポートは書けますね(^^;)」と心の中でつっこんでました(^^;)

 

SNS精神疾患の人たちとやり取りしていると同じ気分障害うつ病双極性障害)の患者さんでも、病気の受け止め方、対峙の仕方、姿勢など本当にいろんなケースがあるのがわかります。
 

私が特にひっかかったのは病気をマイナスとしか受け止められない人の存在ですね。2年とか3年とかの浅い病歴ではなくて、10年とか20年とかの患者さんです。私も20年越えたから長いけど、メンタルの波は穏やかになっています。

 

 でもね、いまだに「こんな病気にならなければよかった」という人もいるんですね。「一生双極性障害と付き合うのは辛すぎる」とかね。もういまさらそういうことを嘆いても仕方がないと思います。いままでにそれだけ時間があったら、普通の患者さんだったら、病気や脳について学ぶとか、誰かの体験を参考にして改善に向かいそうな努力をしてみるとかだと思うんですが……。
 

 

悲劇のヒロイン症候群の悲劇

 

ある記事を書いていて気が付きました。もしかしたらあれは悲劇のヒロイン症候群みたいなものではないかしら?

 

そんなにさまざまな不幸が重なるとかじゃないと思います。とりあえずは病気のことだけね。生活苦もないみたいだし。幸せになるのに罪悪感?よくわからんけど。いや、どちらかというとめんどくさいからとっとと幸せになってくれとは思うけど(^^;)

 

自己憐憫もあるよね。「私って可哀想(;;)」というやつです。
 

「憐憫」の「憐」「憫」ともに、哀れむ、悲しむという意味です。 2つが重なることでその意味が強調されます。 つまり、「自己憐憫」は、自分のことをとてもかわいそうだと思っている様子を意味する言葉です。 ・自己憐憫の心は、あなたの成長を妨げます。

 

うーん、被害者意識もあるんだろうな。ネガティブな視点もありそうだなあ。
この中の自己診断は私の場合はゼロでした。
 
まわりの人間の対処法は結構難しいですね。相手が子供じゃなくて大人の場合は特に。自分で気付いて努力してもらえたらいいのですが……。実際にこういう人もいるので、私も怒らないように努力したいと思います。「どうみてもあなたより大変な人はいるよ」とかっていうのは禁句だな(--;) ホントのことだけど。
 
ただ気掛かりなのはまわりに敬遠されることかもしれません。

 

 

どうせつきあうなら幸せがいい

 

woman.mynavi.jp

 

machicon.jp

 

yolo.style

 

 

「これが足りない」に真っ先に注目しちゃ駄目なのよ。むしろそっちは無視して欲しい。けど、これって思い癖のある人には難しいみたいですね。でも努力する価値はあります。なによりも現在病んでいる人の症状の改善には役立つと思います。
 
だって私が見ていても、現状を嘆いている人たちには圧倒的にこれが足りてないもの(-_-;) 「あるものに気付いて感謝すること」

お金も薬もいらないことです。私自身、向精神薬が駄目だからこそ、こちらの価値に気付けたみたいです(^^)
 
「気の持ちようじゃ治らない」と言われるけど、「間違った思い癖を抱えていると治らない」みたいです。価値観の修正ですね。それだけ。もちろん自分に合う薬があるならばきちんとその力も借りてね(^^)

 

 

ja.wikipedia.org

 

誰かになにかをしてあげたい時は、見返りを期待しないペイフォワードが基本だと思っています。送りだした好意がいつか巡り巡って自分や大事な人に戻ってくるかも?と想像するのは楽しいけど、そこで想像も手放します。

 

忘れたころにホントになにかあったりする(^^)人生って面白いです♪

 

 

 

普段は描かないドレスのお嬢さま。背景の庭園が綺麗です(^^)

 

 

 

 

 

 

「継続すること」はいつか他者に働きかける力になる

 

さすがに眼精疲労で目が霞んできた気がするな。アホやな、私(ーー;)

 

これ、noteの方にいいかな、と思ってまとめたんですが、せっかくですし、はてなの方にも載せようかな、と思った次第です。読書の記事はまだまだ完成しないので、のちほどということで、すみません(^_^;)

 

 

自分にチャレンジしてみる

 

なにげなくnoteを始めた私ですが継続率が高くないとお聞きしたのは意外でした。がっつり文章を書くのが好きな人が多いと思っていたので。

 

私は2004年の11月に「文章がうまくならないかな」でラブログでブログを始めました。その後ブログサービスの終了に伴って ラブログ→FC2→はてな と移ってきました。いつのまにか20年あまり経っていました。

 

私は数字を気にしないのでインポート&エクスポートで続けていたらふと気がつくと記事が1万越えていました。いつのまにか習慣化して、顔を洗わないとか歯を磨かないとかお風呂に入らないとかが気持ち悪いように、「ブログを書かない」のが気持ち悪くなっていました(^_^;) 「書かないと気持ち悪い」結局それで続いた感じかも。

 

ブログを書くうちに自分が病気についてあんまり深刻に悩んでいないことに気がつきました。そのへんのきっかけで心理学とか精神疾患の本をよく読むようになりました。病気すらも知ることが楽しいとか思っちゃって(^_^;) しんどいけど、深くは悩んでないかもしれません。

 

まあ、希死念慮は中学生ごろからずっとあったから珍しくなかったし。でもそういうのも波はあって一過性のものも多いから。「もうちょっと冷静に見てみよう」の積み重ねですね。この頃ではあまり感じなくなりました。なんだろうな?絶望よりも好奇心みたいなもののほうが大きいかも(^_^;)

 

そのうちに自分の病気と自分自身とにいくらかの距離があるよな、と思うようになりました。その距離の部分でいつのまにかセルフカウンセリングが出来るようになったみたいです。結局自分が最高の味方(^^)これが自己確信かもね(^^)

 

親の葬儀の日も引っ越しの日も休まずに書いてた。ちょっと依存症っぽいですかね?(^_^;)

 

思い出せる限り、ブログでもTwitterでも炎上したことないです。これは感性が合う方のみが来てくださるおかげかな?(^_^;) 一番読者様が多かったのがラブログ時代で、今は全然その頃に及びません。でもアクセス数とか見てないから気にしてないし。

 

 

 

 

無限の可能性

 

ブログを続けた収穫は結構あります。

 

①  セルフカウンセリングができるようになった。
自分を観察して研究して分析して対処法を考えて、実行して記録する。の繰り返しですから。

② 備忘録としても優秀。
日々の出来事を忘れても検索すれば見つかるからありがたい。

③  いつしかご縁のあった人たちから信頼されるように。
不思議ですが本当です。

④ 人を笑わせるのが楽しくなった。
いつのまにか一人で「ボケ&つっこみ」が出来るようになった(^_^;)

 

双極性障害は循環器質だというのを実感したりして。全然知らない人とでも結構喋ってるな(^_^;) 単に私がコミュ障じゃないってことかもしれないが。思春期の大人しさはどこへやら?特に介護をきっかけで多くの人と話すのが楽しくなった(^^)

 

 

あれ?いつのまにか…


いろんな方のブログを見ていると、去年は毎日せっせと更新してらして、非常に熱心だった方が、今年になってからぴたっと更新がとまってしまい、いまだに再開されていないケースがあります。ご家族の話では他のことでも短期集中タイプらしいです。
 
例えば楽器の練習とかなら、楽器を揃えて1~2ヶ月は明けても暮れても練習三昧。でもそれも上手くなってからぴたっとやめてしまわれるとか。

飽きっぽいタイプなのかなあ?私から見ると勿体ない気分が大きいのですが、その方から見るとそれが生来のリズムで典型的な短距離走タイプとでもいいますか。私はしつこくほそぼそと継続する長距離走タイプなんですけどね(^^;) 
 
なんかもう価値観の違いに過ぎないのかもしれませんが。えー、もうやめちゃったの?勿体ないなあ、と思えて仕方がありません。すごい余計なお世話なんだけどね。まあ、世の中には長距離が苦手な人もいますよね。

 

ブログの更新をわずか1年でストップさせてしまった人のことを勿体ない、と言ってたんですが、改めてどうして勿体ないのか考えてみたら、仮にこれが会社とか仕事に関することだったら「すぐにやめちゃう」というのはせっかく地味に築いてきた信頼を放棄するような印象があるからかもしれません。

 

 

積み重ねる長所

 

blogs.itmedia.co.jp

 

jinseinokiduki.com

 

seikatsu-hyakka.com

 

いや、べつに個人レベルのことならそんなに気にする必要はなくて、一旦休んでまた再開しようが問題ないですが、仕事になるとどうしても違うよなあ、と思いました。

 

いやー、主に健康上の理由で仕事を4回変わった私は偉そうなこと言えませんが…。それでも最も長く続いたデザイン会社(やめたのも私の理由ではないです。バブルが弾けたあおりみたいな感じ?)の場合は、そもそも高校時代から「近所の印刷屋さん」ということで、自分のイラストを持参して同人誌に出来ないか相談してたんです。いまみたいにデジタルで手軽に同人誌作れる時代じゃなくて。
 
その時に原稿を持参していますので、あちらの印象に残ったらしく。
 
で、一旦は小児科医院に勤めてあいだを6年くらい置いてタイムリーなデザイン会社の募集面接に行ったら、高校の時から私が絵を描いていたことを覚えていてくださって、どうやらその継続に意義を感じてくださったみたいなんですね(^^;) 「まだやってたんや!」と言われた。はい、やってたんです(^_^;)
 
ご縁って面白いね。面接に自分のイラスト集を持参する私も私ですけど(^^;)  でも「作品」ってそんなものだし。いまでもオンデマンドで本の形にしているのはいつでもどこでも見ていただけることをも前提にしています。ポートフォリオ兼用ね。
 
でも就職にそれがものを言って「長く描き続けている」という事実が評価されたのも本当です。自分がそんなに努力をしているとは思わないです。ただ、なるべく投げ出さないようにしてるだけ……(^^;) 実際のところはそんなもんですね。

 

 

私から見るともったいないと感じる

そういえば京都には何百年続く老舗がたくさんありますが、派手な宣伝などしなくても地元の人も観光客の多くもが知っているという。それがとても地味だけど多分「継続の力」。
 
意識に登っていなかったけど、私の中にそれが残っていて、仕事を兼ねたブログを早々に終わらせるのは勿体ないなあ、と思った次第です。
 
継続はいつか信頼になりますね(^^) どうもそれは確実なことのようです。
とても地味だけど、長年積み重ねてきたこと、継続してきたという事実は他人に対して説得力が増すかもしれないね。派手な実績でなくても続けてきて生まれる結果でそれが地味な実績になり得るのかもしれないですね。

 

 

羽生善治『何かに挑戦したら 確実に報われるのであれば、 誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。』        

              ー月曜日の名言|Hacks for Creative Life!

 

 

書き留める効用、記録する効用、自己分析の面白さなどを知るようになったのも「書くことを続けていたから」だと思います。いわゆる言語化ですかね。そういう地味な力を痛感しました(^^) 

 

双極性障害研究の加藤忠史先生のゲノム解析の研究に参加させてただいたり、ライフヒストリーのまとめにも参加させていただいたり。毎日しんどいけど、別にしんどいなりに生きてたっていいやんね、と思うし(^^;)

 

 

 

ああ、これって生きることそのものじゃないですか。成功を夢に見ず、報いを求めず見返りを期待しなくても生きていることに意味があり、文章を書くことは私にとっては内省そのものですね~(^_^;) だからいまも毎日充実しています。

 

 

長くなりました。ここまで読んでくださったかたがた、どうもありがとうございました(^^)

 

 

 

 

 

 

 

あ、しっぽ忘れてる

 

 

 

 

 

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