
世の中が落ち着きませんね。世界中がそうですね。
歯に衣着せぬ言い方をすれば、馬鹿に騙される国民が多すぎます。
— まき|脱スピで幸せになった人 (@oyamada_maki) 2025年9月13日
学ぶことや努力することが許された、類い稀な国が日本という国です。
その恵まれた状況の中で、いつまでも他責思考で生き、あまつさえゴミみたいな言説に騙されて騒ぐ大人がいるのは、観るに耐えません。
頼むので学んでください。
この方の言葉は辛辣ですが、結構そのとおりだと私も思っています。もとはこの方は参政党と関わっていらしたそうですが、自ら気付いてそこから抜け出して、(洗脳が溶けたみたいな感じ??)いまはちゃんと現実を見て関わりを断って、世の中をちゃんと生きようというように参政党支持者に呼びかけておられます。「気付いて抜け出す」だけでも大変なことだろけど、元所属政党の誤りを正すというのを大事なことだと思われています。
いわゆる思考停止の状態になっている人々も少なくないと思いますが、やっぱりまずいよね。参政党支持者の人たちを初めとする排外主義の人たちってこちらから見ると正直とても恥ずかしいです(-_-;) こういう行動はとても勇気が必要だと思いますが、負けずに頑張っていただきたいです。
だってお天道さまは見てるから
ここでまた素朴な疑問があります。
日本人の「罰が当たる」という感覚はどうなったのか?
AI による概要
日本人の「罰が当たる」という感覚は、かつては神仏や天からの現世での報いとして信じられていましたが、現代では信仰や道徳観の低下、法的な罰との混同などにより、薄れている、あるいは形を変えていると考えられます。しかし、因果応報や倫理的な戒めとしての意味合いは残り、自己中心的で傲慢な行動に対する批判や、社会規範から逸脱する行為に対する制裁を間接的に表現する言葉として使われることがあります。
かつての「罰が当たる」感覚
神仏や天からの報い : 悪い行いの結果として、現世で神仏や天から災いや苦しみが与えられるという信仰に基づいています。
因果応報の思想 : 「バチ」は神仏による罰であり、天罰が下される、あるいは悪い行いが直接自分に跳ね返ってくるという、因果応報の考え方を表しています。
家庭や教育での戒め : 親が子供に悪いことをした際に「罰が当たるよ」と教えることで、倫理的な行動を促す役割がありました。
現代における「罰が当たる」感覚の変化
信仰の低下 : 現代社会では、信仰心の低下や世俗化により、神仏が直接罰を与えるという感覚が薄れています。
法的な罰との混同 : 現代では「バチ」と法的な「罰」が混同されることもあります。本来「バチ」は天罰、「罰」は法的な制裁を指しますが、この区別が曖昧になっています。
因果応報の再解釈 : 信仰の形は変わっても、「因果応報」という考え方自体は残っており、自己中心的な行動や不正行為に対して社会的な制裁や不幸が訪れることを示唆する言葉として使われることがあります。
「お天道様が見ている」との関連 : 隠し事や悪い行いは「お天道様が見ている」とされ、その報いが「バチ」として現れるという、倫理的な戒めの意味合いが強調されています。
現代での使われ方
社会規範からの逸脱への批判 : 政治家の不正行為など、高い倫理観が求められる立場にある人物の言動が、社会規範に反する場合に「罰が当たる」という言葉が使われることがあります。
自己中心的な態度への戒め : 他人を思いやらない自己中心的な性格の人や、傲慢な態度をとる人に対して「罰が当たる」と表現することで、その行為への批判を示します。
私は明治生まれの祖母に長い時間子守をされていたために、「お天道さま」などの神様の概念はしっかり影響を受けています(^^;) だから常に神様と一緒な感覚が存在しています。
私の感覚的には日本は法治国家ですけど、かならずしも万能とは言えない法律の抜けている部分とかに、本当は悪いことをした相手に対してきちんと裁かれずに悔しい思いをした被害者がどこかで『罰があたるぞ」とか思っていそうな気がします。人間気持ちってあっさりさっぱり割り切れないないですもんね(^^;)
少なくともお天道さまが見ていたからこのままではすまない、と思うことは精神安定のためにはいいのかもしれません。
法律が最大公約数だということも少なくないですしね(^^;) 閻魔大王さまの目が光っていそうです(^^;)
明治生まれの祖母はかなり苦労をした人でした。母親と死別して、父親が再婚するために継子がいたら目障りだろうと(この考え方もひどい話ですが)一つ下の妹と共に奉公に出されたのは8歳の時でした。だから祖母は学校にも2年しか行っていませんでした。いまなら虐待もいいところです。
ただ救いは奉公先のねえやさん(女中さん?)がとても優しくて良く面倒をみてもらったそうです。そういう育ちだからか祖母も負けん気が強くて芯が強い性格でした。独学かわかりませんが、自分なりにどこかで文字を覚えて新聞は読んでいました。ちゃんとした書類を書くのは母に頼んでいましたが。
私はこの祖母に似ています。性格も骨格も。幼児のころに二人で近所の神社の境内や京都御苑の中(車が通らなくて安全)を散歩したり遊んだり。「あんたはまあ、おばあちゃんに読んでもらう絵本を間違いもそのままに覚えてなあ(^^;) 」と母が笑っていましたが。覚えた文章を繰り返しているうちにおのずと自分で字が読めるようになりました(^^;)
赤子のころから同居の祖母の影響って結構あるよね、と大人になってから痛感しています。素朴な神仏の存在はいまも確かな存在です(^^;) 「誰も見てへんでも悪いことしたら罰があたるで」はい、忘れてませんよ(^^;)
#罰があたる #お天道さま #素朴な信仰 #祖母の思い出