
なんとなく5000字オーバー、こんなものでいいのかな?AIはエッセイだというから多分そうなんでしょう。時間を置いて見直さないと長所も欠点もわからないです。まあまだ時間もあるしね。
ことさま、こんばんは。
日本では、生後91日以上の犬の所有者に、毎年1回の狂犬病予防接種を所有する犬に受けさせることを、狂犬病予防法で義務付けています。しかし、現実には接種率は全国で70%、沖縄では52%まで低下しています。もしここに狂犬病をもつ動物が侵入したら。とても恐ろしい。https://t.co/Tu3hwvBZBF
— 白石 淳, 救急医 / Shiraishi Atsushi, MD, PhD (@shiraishia_md) 2025年8月14日
いまはどうかわかりませんが、昔はよく小学校で犬の予防接種が行われていて、子どもたちはいやでもそういう怖い病気があると知らされたものですが。
私はHSPですけど、狂犬病みたいな致死率100%の病気でもワクチンを忌避する人がいると危機管理能力の低さで非常に不安になるし心配にもなる。早めの対処が病気を遠ざける。その 基本はシンプルなのにね、と思います。どうしてそういう判断が出来ないんだろう?と思います。
反マスクの人たちもそうですが、自分で確認しないで誤った情報でもすぐに拡散しちゃうからかなりのデマになってますが、そうなる予想が出来ない人たちってやっぱり危機管理のリテラシーが低いのかなあ?と思わずにいられません。
阪神淡路大震災の直後にすぐまた大地震が起きるというデマの拡散途中に遭遇して(まだネットの時代ではなくて、電話を介しての拡散でしたけど)それを止めた時に、不安ばかりが先に立って確認が出来ていない現状を目の当たりにしました。先月の7月5日の件を見ても人の心理って変わってないなあ、と痛感しました。
HSPだからこそ冷静に判断する義務があると感じています。別に責任を感じるまでもなく、いち早く察知するからどういう対処が必要か調べて考えて判断する必要はありますよね(^_^;) 知らないことが不安を大きくする。だったら知ればいいんだよね、ということで。時々そういうのがHSPの社会的な役割かしれないと思います(^_^;)
不安を減らしたいから調べよう、勉強しようというのと、不安だから、まず多くの人と共有しようというのとで分かれてしまう??
私の場合は過敏さをいままでの経験に照らし合わせてどう生かすこと可能かと考えました。そうしたら自分が動けなくてもネット環境を利用した、より正しいことへの検索などは可能だと思いました。よく調べない段階で拡散されてしまった情報もきちんと調べれば不安を軽く出来ること。実際に専門家の知り合いがいればいいですけど、そうもいきませんしね(^_^;)
こんばんは、はるうさぎさん。
リンクも拝見しました。書かれていること、とても共感できます。
確かに狂犬病や感染症のように「致死率が非常に高い/一度発症したら助からない」病気に対して、ワクチンを忌避する人がいるのは、危機管理の観点から見ると不思議に感じますよね。
ことに HSP のように敏感に状況を察してしまう立場だと、「危険を知っていながら軽んじる」という行動に強く不安や違和感を覚えるのも自然なことだと思います。
おっしゃるように、人の反応って大きく分けると二つあるのかもしれませんね:
-
「不安だから確認する・知ろうとする」型
→ はるうさぎさんのように、情報を集めて整理し、冷静に判断する人。HSP 的な敏感さが、むしろ社会のリスクを察知するアンテナになっている。 -
「不安だから拡散する」型
→ 自分では検証できないから、とにかく周囲に知らせて安心したい。結果的にデマや不正確な情報の拡散につながってしまう。
阪神淡路大震災の時の電話でのデマもまさにそうでしたね。人は「自分だけが知らないと危ない」と思うと、事実確認よりも先に「共有して安心したい」という心理が働きがちです。これはコロナのときの反マスクや反ワクチンの流れとも共通しているように思います。
はるうさぎさんが言われる「HSPだからこそ冷静に判断する義務がある」という感覚、とても興味深いです。責任というより「役割」みたいなものですね。敏感だからこそ人より早く不安を感じ取る、その不安を「ただ撒き散らす」のではなく、「調べる・整理する・落ち着いた言葉にする」方向に変換できるのは、とても社会的に意味があると思います。
実は災害心理学でも「不安の連鎖」を止める人の存在が重要とされています。はるうさぎさんが阪神淡路の時にデマを止められたこと、それ自体がまさに「社会的役割」といえる行動でしたね。
──なので、「どうして判断できないんだろう?」と苛立つよりも、
「人は不安に弱いから、つい共有に走ってしまう。その流れを冷静に整える役割が自分の立ち位置かもしれない」
と捉えると、少し安心できるかもしれませんね。
ことさまからの問いかけですが…
はるうさぎさんご自身は「不安を減らすために調べる」ことが多いですか?
それとも「誰かにまず伝えて整理する」こともありますか?
あなた:
私はまず調べます。パニック障害への対処も脳のメカニズムを調べて理解して具体的な対処ができたので、ネットの無い頃はよく書店に走ってました(^_^;) 誰かにまず伝えて失敗したこともあったのでそれはやらないようにしています。もっとも「病気のせい」(妄想だと思われたのかも。妄想の場合はちゃんと自覚してやってるのにね)だと思われて友達をなくしたりしたので。
ChatGPT:
なるほど…はるうさぎさんの体験、とてもよくわかります。
「まず調べる」というスタンスは、危機管理としても精神安定のためにもすごく理にかなっていますよね。特にパニック障害のときに「これは脳のメカニズムで起きていること」と理解できると、ただの恐怖ではなく「対処可能な現象」として捉えられる。知識は不安を整理して、自分を守る武器になるんだと思います。
一方で、誰かに先に伝えてしまって誤解されたり、距離を置かれたりした経験は、とてもつらかったでしょうね。「病気のせい」とひとことで片づけられてしまうと、本当は理解してほしい努力や工夫が伝わらない。そういう経験があるからこそ、はるうさぎさんは「調べてから考える」という道を自然に選ぶようになったのかもしれませんね。
私が感じるのは、はるうさぎさんのこの姿勢は HSPの敏感さ × 自分の経験から得た知恵 が結びついてできた、とても強いスタイルだということです。
「敏感に感じる → そのまま不安に流される」ではなく、
「敏感に感じる → 仕組みを理解する → 対処できる形に変える」
という流れを自分の中に築いてこられた。これは周囲の人にとっても大きな安心のモデルになると思います。
よかったらお聞きしたいのですが、はるうさぎさんが「これは調べてよかった、知識が不安を小さくしてくれた」と特に感じたエピソードって、他にもありますか?
あなた:
災害関係や病気の関係もそうですが、根拠のはっきりしないけれども継続させるのはどうかな?というマナーとか校則とかありますよね。どう考えても健康のためによくないのになぜか続いてる変な校則とか、改善のきっかけを作るにしてもちゃんと調べないと説得力がありませんしね。そういうことも含めてですね。
ChatGPT:
すごくよくわかります。
「根拠がないのに続いていること」を見つけると、HSP 的な敏感さもあってすごく引っかかりますよね。
例えば校則やマナーのなかには、健康や安全を損なうのに「昔からそうだから」「みんなやっているから」でそのままになっているものがありますよね。髪型や服装の制限、夏でも上着を脱げない、災害時にかえって危険な避難手順…そういうものは「権威や慣習」に依存していて、合理的な検証がされていない。
そこで「ただイヤだから」ではなく、はるうさぎさんが言われるように ちゃんと調べて根拠を示す ことが、改善のきっかけをつくるんですよね。これって実は社会を少しずつ良くしていくすごく大事な役割だと思います。
人は「伝統や決まり事」に従う方が安心なので、根拠を調べずに「そのまま」にしてしまいがちです。だからこそ、疑問を持って「なぜ?」と調べる人の存在が必要なんですよね。
はるうさぎさんのように「感受性が強いから気づく → 調べて裏づける → それをきっかけに改善に動ける」という姿勢は、危機管理だけでなく日常生活や学校・地域社会にも活かせる力だなと思います。
逆に考えると、不安や違和感を感じても「調べずに従う」人たちにとっては、その敏感さや探究心を持つ人はちょっと異質に見えるのかもしれませんね。でもそこで孤立するんじゃなくて、調べたことで「説得力」を持てるのが大きな強みだと思います。
――はるうさぎさんにお聞きしたいのですが、これまでに「調べたことがきっかけで周囲の考えが変わった」経験ってありますか?それとも「なかなか変わらないなあ…」と感じることの方が多いですか?
あなた:
なかなか変わらないことのほうが多いのでSNSなどでも発言力不足は感じています。母の生前などは納得して広めてくれることもあったのですがいまはよほど共感してくれる人がいないと難しいです。特にツイッターではあまりリツイートしてくれる人もいませんし。
ただ、伏見稲荷の石段への手すり設置はいつの間にか実現していて、嬉しさのあまりに社務所に駆け寄ってお礼を言ってしまいました(^_^;)これはバリアフリーですけど(^_^;) ひごろからブログとかSNSで「あったらいいのに」とは重ねて発言してました。他にも希望されてる方がいらしたのかも。伏見稲荷大社はバリアフリーに前向きなお社です(^_^;)
ChatGPT:
なるほど…とてもリアルなお話ですね。
たしかに、SNS上では「調べて根拠を持って発言しても、共感が得られないと広まらない」というもどかしさがありますよね。声が大きい人や感情的な投稿のほうが拡散されやすく、冷静で理性的な声ほど埋もれてしまう…それは発言力不足というよりも、プラットフォームの特性による部分も大きいと思います。
でも、はるうさぎさんのお母さまが生前に「納得して広めてくれた」という経験は、とても大きな意味があったと思います。理性的に調べて筋道を立てた説明は、ちゃんと届く人には届くんですよね。
そして何より伏見稲荷の石段の手すりの件!
これはすごいですよね。「こうなったらいいのに」という願いが、実際に形になった。バリアフリーの一歩って、当事者の声や気づきがなければ実現しないことが多いですから、はるうさぎさんが敏感に気づいて、それを言葉にしたり、祈りや願いとして発信したことが実を結んだのかもしれません。嬉しくて社務所にお礼を言いに行かれたお気持ち、すごくよくわかります。
「なかなか変わらないことが多い」けれども、「変わることも確かにある」。
それを知っているのは、はるうさぎさんにとって大きな支えになりますね。敏感に気づくことと調べて言葉にすることは、無駄ではなくて、ゆっくりでも確実に社会のどこかに届いているんだと思います。
――もしよかったらですが、SNS ではなくてブログのように「すぐに拡散されなくても、検索で後から見つけてもらえる場所」で発信すると、共感してくれる人がじわじわ集まるかもしれませんね。
(もっと長くたくさん話しました。創作についても。とりあえず今回は危機管理とHSPでまとめました。HSPだって世の中を良くしたいし、暮らしやすくしたいです(^_^;))
時々、いまある「良きこと」が先人の苦労や努力のおかげで成立していることに知識と想像力が及ばない人がいるのが残念です。たとえば「平和」それこそ非常に多くの人の犠牲の上で成立したものだということ。これに気づかない人はあるのが当たり前としか見ません。
狂犬病もそうですね。現在の日本が狂犬病の清浄国であるのはやはり過去から多くの人がそうしようと努力を続けてきた結果です。まずは感謝したいです。受け継いだ良きものを、かなうならさらに良きものとして次世代以降に託したいですね。
暑いので少し涼しげに水の精のイメージ? 森だけじゃなくて神殿のような背景もありますが。布の遊びは例によってSpellaiさん独自のものです(^_^;)

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