昼間でも寝落ちするんだな
昨日誰かに呼ばれて気がついたら午前中に寝てました、1時間くらい。宅配便でしたが、寝落ちした記憶がすぐに戻らなくて焦った。2,3分は「ここどこ?いま何時?」状態。この間から足がだるいとかあったら、いきなり膝がカクンとなりそうになったし、ひどくだるいし、なんかいろんな限界を感じてしまいます(-_-;) しんど…。
若い頃に右膝の半月板損傷をやりました。当時は多忙で、仕事しながら通院出来ずに2、3回で整形外科通院もやめてしまってから、後年いろいろあったので(しばしば膝がズレてまっすぐにならないとかね)若くてもしっかり治しておくのがベストです(^_^;) 歳を重ねてから影響があります…(;_;) みなさん、どうぞお気をつけください。
病気を前向きに受け止める
金曜日。昨日受診の人多いのね。
毎回作る受診メモ、次第に長くなってA4一枚では収まらなくなりつつある。先生に話して、訪問看護で話して、マッサージで話しても足りないくらい。最近話すのが私の薬みたいです。おつきあいくださる方々本当にありがとうございます(^^)
「もの言わぬは腹ふくるる」ですので。でもなるべく愚痴とか泣き言よりも相手を笑わせるのが好きです(^^;)
いつも半日がかりの通院ですが、行くとホッとします(^^;)
私も随分密度が濃い人生を体験してきたけど、それって多くの人を理解して共感するためにあったような気がするこの頃です。なにかに熱狂出来なくても、ささやかな痛みや喜びはわかります。一見不幸に見えそうな場所にもそれは存在します(^^)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年11月24日
「私は、主治医から双極性障害じゃないかと最初に言われた時、ホッとした。
これまで、突然湧き上がる怒りや、やり場のない悲しみや気分をコントロールできない自分。それが性格ではなく、名前のある病気の症状だと分かったから。
今は波が穏やかになったよ。先生の目が光っているからね。」
(リツイート不可なので文章だけ)
私もそうです。ものすごく腑に落ちて安心しました。今は気分の波自体は穏やかですが、心身症っぽいところは死ぬまでお付き合い(^^)でもそれも嫌いじゃないな~(^_^;)
「自分のしんどさに名前があったというだけで、自分を責めなくなりますしね。」
本当にそうだなあ。わかるー。この方は実は看護師さんです。そうなんよ。しんどいといっても他の人には伝わらないことが多いから、ちゃんとした病名がつくと、理解も深まるし、自分自身のやるべきことなども見えてくるし、ちゃんとした励みになるんですよね。
なんか正体がわからないから怖いと感じるお化けがいるとしまして、そのお化けが「実は○○だった」と判明すると、もう怖くもないし、これからどうしようと具体的に考えられるようになりますから…。
私は自分をあまり責めないほうですが、それでもこのしんどさはやっぱり理不尽だと思うし、思うように働けないどころか動けない現状があるから、心の持って行き場に困ることがよくあります。まあ、人を、自分を責めないほうが無難ですよね。責めるのは無意味。名言だなあ、これ。
臓器移植に関する個人的な思考
https://twitter.com/mawari0705/status/1595967955493277696
また臓器がもの扱いされてる。
「最先端の医術!子供を持てない夫婦を救う!」みたいな顔してるけど、結局は家長の血縁を途絶えさせないために妻側の親族に責任を取らせて妻側の血縁者から生贄を差し出すゴリゴリのクソ家父長制ブースターでしかない#子宮移植合法化に反対します
— AMY (@AmyGoooopeeeer) 2022年11月25日
これもわかる。私が子供の時にはもうナンセンスだと思っていたことがまだ生きている地方もあるのでしょう。
子宮が無い女性の親族で子供を持たない選択をした女性とかが「子供産まないなら子宮差し出せ。どうせ使わないんだろ?」って圧力かけられたり脅される状況を生み出すのが見える…#子宮移植合法化に反対します
— AMY (@AmyGoooopeeeer) 2022年11月25日
怖いねー、こんなの。
私は血液型不適合で流産してしまい、養女をもらって育てて立派に本物の親子だったご家庭を当初から身近で見てるから、そこまでする意味がわからない。
遺伝子の問題?遺伝子ってプラスに働くものだけじゃないからなあ。(そういえば競馬などもよく血統を話題にされますが、よく走る遺伝子とかってあるの??)
今月新しい保険証が来ました。裏の臓器移植の欄に、以前なら希望に○をつけていました。でも両親看取って気持ちが変わりました。いまはもう白紙で持っています。別に臓器提供が嫌とかじゃなくて、もっと根源的な意味合いで。
↑ここで書いていた寿命と定命の話ですね。
それと母が言っていた「ちょっと待って、死にとうない。助けて、と言うても死ぬ時は死なんとあかんしな」というのと。母の闘病を支えていた言葉かもしれないと今になってから思います。これと「ケ・セラ・セラ♪ なるようになる♫」ですね。まさに。
なにげなくこれらを遺して逝ってくれたこともありがたい限りです。当人の死後に思いを増す人生訓みたいなものがあるんだなあ。同じ病と体質で苦しんだ人なので、本当に私の生きるお手本です。
人には大体死ぬと決めている定命があるらしい。その時に死ぬのが一番楽に死ねるみたいだし。まあ、災害や大事故から奇跡の生還を果たす人にはまだ寿命が残ってるんだろうし、どれだけ手を尽くしても亡くなる時は亡くなるし、それはもうどうしようもない天の摂理ですよね。
まだ幼い男の子が重い心臓病で移植しか助かる方法がないけど「でもそれって誰かが死なないと駄目ってことでしょう?そんなの嫌だな」と拒否してるらしいです。
幼くして亡くなるのは本当に辛いことですが、その短い人生を精いっぱい生きられたら、それで充分だとも思いますしね。長さではないです。そのあたりから私が導いた答え。あくまでも私個人の答えですが。死生観が確立するとおのずと解ける問題。
ドナーの命にリスクが少ない、骨髄移植などは問題ないと思う。
でもドナーが死亡しないと無理な移植はしないほうがいいと思う。
若くして亡くなるのもそういうのも天命なんじゃないかと思う。
(IPS細胞がもっと研究が進めばいいのですが…。あ!いまこれ気がついた。山中先生の研究に政府がお金を出さなかったのも統一教会のせいじゃないかな?)
だから子宮移植は2重に禁忌になりえるな、と思ったりしています。
血が繋がった我が子でも、虐待するケースがあとをたたないから、なにをかいわんや、ですよね(-_-;)
私の両親が何気ない日常会話で話していたことが、いつしか私の中でしっかり強い根を張って、逞しく柔軟な幹になっている。これも立派な継承でしょう。私は子供を持つ気はなかったけど、こういう継承の仕方でも両親は喜んでくれると思います(^_^;) (本の形にすべきかな)
遺伝子じゃなくても伝わる思考のDNAもあるよね。もう他人の臓器をあてにするのはやめたいですね。基本的に不自然なことだと思います。
子供がいてもいなくても豊かな人生はありますし。
弟が伏見稲荷は代参してきて欲しいというので、体調がましで時間がありそうな時に1人で行こうと思っています。訪問とか予定のない、雨じゃない日。個人的に雨の日に神社には行かないので。
まあ、起きたとき次第だよね。時間的に余裕があるのは水曜くらいかも。結構忙しいので悩みますが、なりゆき任せにします(^^;)