お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

見えない世界が支えになることは少なくないです

 

auに電話したのが2日の午後5時を過ぎてたから、速達郵便も翌日にはこないねえ、さすがに。まあ、ネットが繋がっていていざというときはメッセンジャーでもやりとり可能なんでいいかなあ(^^;)

 

 

状況がよくなるのはいいことですよね(^^;)

 

 

昨日は内科受診してきました。ついでに変形性膝関節症の話で、いまの弟の年齢だとセラミックの人工関節が丈夫なので、もし入れても交換不要で死ぬまで使えるという話(^_^;) なんとなくお得か?

 

ヒアルロン酸注射1本1000円でお高いのが難儀です(;_;) 食費が飛びそうだし(-_-;)

 

いまはその人工関節が優秀でかなり動けるらしいので、以前なら身体障害者としての等級がわりと高めだったのが、最近ではもっと下がって、どうかすると障害の等級も取れないことがあるとか。つまりあまり不自由なく動けるってことで、その方がありがたいなあ、と思います。

 

先生のアドバイスでは「まず体重を減らすこと、それから筋肉をつけること」だそうです。「減らへんね」と言ってますけど。そういう処置を受けずに10年間毎朝45分ウォーキングを続けた母は偉いと思います(^^;)

 

 

 

うんうん、これはすごくわかるので、時計を逆にしようとは思いませんが、でもすこしでも現状維持はなんとかしたいですよね。

 

まあ、あれですよね。人生というのは必ず死に至るまでの壮大な暇つぶしと言われた方がいらしたと思うんですが(すみません、どなたかわかりません)どこまで真摯になるかどこまでいいかげんでもいいかは人それぞれなのかも。

 

 

 



 

 

これ、怒鳴っていたのは介護するご家族のほうなのね。介護されてる方は身ぎれいにされてたのなら、まあ、怒鳴るだけで済むならまだいいかな。手を挙げるようになると怖いのでなるべく頻繁に様子を見てあげて欲しいと思いました。可能なら話も聞いてあげて……。

 



 

未熟だったら何度もやり直しがありそう……

 

私は昨日初めて知ったんですが、ADHDと診断された青年がバイクでの日本一周のラストで、ダムに飛び込んで自死されたという記事がありました。痛ましいですが、ちょっと個人的には否定も肯定も出来かねます。

 

 

 

ただ隣に誰かが座っている車ではなく、バイクの旅はどこまでもひとり、話し相手もなく、気がまぎれることもなく、あまり救いにはならなかったのかもしれません。どこまでも孤独だったんだろうな……、と。

 

私は発達障害ではないですし、真剣な悩みの内容や具体例はわかりませんが……。だから同情出来るか否かも微妙ですが……。そもそも比較出来るものとは思いませんが、ただ22歳という年齢にあったかもしれない可能性を惜しみます。

 

安楽死云々とか言われるともっと怒りそうだけど。来世があると信じてたなら、生まれ変わりには時間がかかりそうですが、来世は諦めない人生を送ってください。

 

 

 

本人のことは結局本人にしかわからない。半端に理解しても想像してもきっと違うと思う。だから安易に「わかる」とは言えないな。

 

私にわかるのはどんなに綺麗な景色を見ても、美味しいものを食べても雨に濡れても一言でも共感しあえる誰かがそばにいない孤独なんだな。それは人間の基本的なものとして動かずにそこにあると思う。どこまで耐えられるかは人それぞれで。

 

そもそも親身な理解者が多かったらもうちょっとでも生きていく大変さがましに感じるかもしれんしね。ここんところ、かなり大きい要素だと思います。

 

 

 

でも病気や障害を持つ人たちが、ここまで生き延びたことにもすごく意義があると思うんだ。私もしつこく生きてますが、もうゴールは遠くない自覚もありまして。完走希望。思春期からずっとこういうことを考え続けてきました。結構しつこいです(^^;)

 

で、10代の終りに慢性膵炎になって、療養するうちにどこか開き直ってポジティブになっていったみたいです。10代の頃はそんなに明るくなかった気がします、リアル中二病(^^;)

 

生きてても埋められない壮絶な孤独を思う…(/_;) でもね、死を選んでもやはり本来の寿命がくるまでひとりで自分の魂の闇を見つめないといけない、生まれ変わるのはそれから、という説をどこかで見たことがありまして(-_-;)

 

本来80歳まで生きるはずだった人が、20歳で自死したらその差の60年は暗い場所でえんえんまだ耐えないといけないとかいうのが本当だったら怖くないですか?生まれ変われるのは何百年も先のことかもしれません。

 

それで来世でもやり残した課題をやりなおさないといけないとかね。いろんな話を統合するとそういうイメージがかなり本当っぽく浮かんできます。ホントにホントかは実際に死んでみないとわかりませんが。

 

でも私自身は生まれ変わりを想定して生きています。前世も来世も。現世だけでは説明がつかないこと、報われたり報われなかったりする不条理なことも過去と未来を範囲にいれると納得できることも多いので。それを信じて生きてみることにしました。

 

これはもう何十年も前から感じていたことなので、どこの宗教とかぶるかかぶらないかわかりませんが、私にとっては生涯の指針となるものでした。まあ、確信的な。そうしたら近いことを感じている人たちも結構いるとわかったりして。

 

自分なりの死生観が確立したおかげで、病気と共生することが出来ているし、両親の介護も看取りも出来て、重いグリーフにも陥らずにすんでいるので……。自分には有意義だと思っています。

 

うん、だから私はそれは結構支えにしています。万一死んでみたら「あ、無だわ」となるかもしれないけど、その時にはもう「無」だと感じる心もないからそれでいいのです。

 

あの世があったらお楽しみですよね(^^;) 不安だけじゃなくて、先に亡くなった親しい人に逢えるとか、いろいろ楽しみを作っておきたいじゃないですか(^^) 

 

私の死生観はいつのまにかそういう形になったみたいです。だから早すぎるエンドマークは「もったいない」のですね。人間年齢をかさねて経験を重ねるとそこそこ図太くなったりもしますし。それでいながらHSPなんだな。不思議なものです。

 

 

 

 

ここまで怪我らしい怪我をせずにこれました

 

実は昨日、自転車から降りようとして転びかけました。何とか持ち堪えましたが、バランスは生きてた(^_^;) まあ、時々頭のふらつきを感じるので、耳のせいか薬の影響とかがあるのかもしれませんが……。ただ、私は運動神経鈍いですが、割と慎重なんで今までに骨折の経験はありません。

 

小一の時に校庭の登り棒から落ちて突き指したことはあります。自宅の階段や友達の家の階段も何度も落ちているけど、うまく頭は守っていて大抵全身打撲程度で済んでいました。まあ、子供は身軽ですしね。でも交通事故でも頭は守っていたし小難で済んでる。

 

あ、ただ半月板損傷とか自転車で転んだあとはいまだに消えない傷跡になっていますが(^^;)

 

自分でも無茶はしませんが、ここまで大きな怪我をせずに済んでいてるのはありがたいです(^^;) まあ、病気とか体質とかで「弱さ」を学ぶことは出来ましたから……。

 

守護さんたちありがとう(*^^) 目には見えないけど、いろんな存在に守られてると感じることが出来たら、自分が大切に思えて、日々大過なく過ごせることに感謝の気持ちを抱くことが出来ます。そういうことがささやかでも大事なことなのかもしれません(^^;)

 

これは生かされているという実感になるので大きいです。

 

 

 

 

しまった。4000字あまりも書いてしまった(^^;) ここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございます(^^;)

 

今日は薬をもらうついでに買物もする予定です。

 

 

 

アメリカの保護センターが読者に向けて公表されていた注意の和訳分(Google先生によります)飼いたい人が多かったのかな。でもとても難しいというのは聴いていましたがその内容ですね。州によって禁止されてるとは知りませんでした。

安易な飼育ブームにはなって欲しくないです。責任もって最後まで飼育して欲しいです。きちんと命に対する責任を果たして欲しいから……。

 

いや、もう到底無理なのはわかっていましたが、ちゃんと教えてくださってありがとうございます😢

 

 

でも可愛いし、やっぱり好きですが(^^;)

 

 

 

 

 

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