お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

人の気持ちが読めない子、読みすぎる子

 

お盆前なので

 

今日は行けたら内科受診したいです。お盆のあいだの薬をもらってきませんと。自転車乗れないから歩いてですが。暑いなあ。昨日は水道水がお湯になってたよ。

 

この団地に来て3度目の夏で、今年も夏祭りは中止。大人には現金、子供にはお菓子が配られたけど、その実際の夏祭りを知らない私にはどういうものか想像も出来ません。

 

神社と無関係な祭ですが、きっと地蔵盆とも無関係じゃないかな……(-_-;)  屋台とか出るのかな?来年はどうかな?

 



政党支持二世

 

 

うちもこれはあり得なくて、まず両親がお互いに誰に投票したかは内緒だと言ってたから、はっきりどこ支持とかも言ってないと思います。その親を見て育った私はあえて訊くこともなく、自分で考えて投票した。まあ、両親の普段の会話からそれとなく察せられることは出来たけど、自民党支持じゃなかったのは確実ですね(^^;)

 

 

ちゃんと責任まで取る覚悟で政治ができる人っていないよね(-_-;) あーあ。

 

 

仲がいい家族なんだけど、そういう一線はありました。逆に仲がいいからそれぞれの誕生日に特別なことはしないとか。うんと幼いころは友達呼んで、とかもありましたが、成長にしたがってそういうのはやらなくなりました。まあ、誕生日だけが特別な日ではないという意識かな。

 

好きなメニューがあれば作るよ、程度で手作りコロッケは何度かリクエストしたことあります(^^;)

 

うちは学歴をつけさせるほどの経済力はなく、私や弟も体力に自信がなかったので、あえて大学に行きたいとも思わず、弟も高卒で働くと決めてたけど(まあ、一応一流企業ではありましたが)、工場の場合は交代制勤務ですっかり体調を崩しました。自律神経が不安定な人は交代制勤務を選んではいけません(-_-;)

 

生来一度も「勉強しなさい」と言われたことはないですが、振り返ると「自分で考えて選択する」ことを大切に教えられてきたような気はします。放任のようで放任じゃない。塾なども本人の希望がなければいけとは言われず。

 

まあ、高校受験の時に京大理学部(院生だったかも)の従兄が近所に住んでたのはたまたまラッキーというか……。それも数学だけじゃなくて、わからないところだけ集中的に訊きに行った感じだし、長い期間でもなかったし。(まあ、タイミングよかったんですね(^^;))それくらい。私もだらだら習い事するのが嫌いだし。

 



この従兄に教わった一番重要なことは「一生数学から離れたくない」と言って、そのとおりに生きていることで、従兄にとっての数学が私にとっての創作になればほぼ一緒やしええやん(^^)と私が思ったことかもしれません(^^;)

 

「好きなことを生涯続ける」ための畑違いではありますが、先輩なんですね(^^;)

 

 

 

 

 

読みすぎる子

 

学校時代の国語のテストって「先生はこう答えて欲しいんだろうな。ホントは私が思ったことと違うんだけどな」と思いつつ答えて正解だったりしたので、読書感想文や作文が嫌いになるわけよね(-_-;) この傾向は美術や音楽や家庭科あたりにもあったし。フィギュアスケートの審判みたいに揺れ動く曖昧さがありました。

 

それこそAIが採点したらこうはならないだろうね、というテストの点数。教師も人間なので、贔屓な生徒とかもあって、どうしても甘くなるところだってあるのですよね。そういうのも先読みしたら、そこそこいい点は取れるけど、本来子供が気にしてやることではないと思います。

 

感じなくてもいいことを感じてたのが私で、不平等とか不公平とかもしっかり感じてました。

 

美術の先生などもわかりやすくて、ある程度以上は先生の好みの作品を提出するとちょっといい点数がついたりします。これは恣意的というよりも先生の好みの問題でしょう。

 

母が「私は要領がよかっただけ」と言ってたのもそういうことなんだと思う。このタイプの優等生は精神疾患になりやすいのでお気をつけください。自分が本来感じることを第一に大切にしてね(^_^;)

 

まあ、発達障害があって、人の気持ちが読みづらい場合も哀しいですが、読みすぎる子供も哀しいです。まあ、自分も含めて精神疾患になりやすいのは仕方がないと思う。どちらも生きづらいですね(-_-;)

 

普段は頑張って気付かないふりをしていても、あまりに溜まってくると身体症状にも出てしまうので。

 

まるきり読めないのもいろいろ不自由ですけど、読みすぎるのもしんどいし……。ちょうどいい加減って難しいですね(-_-;)

 

 

 

 

遊びを楽しむ価値

 

宇宙規模の孤独、まだ抜けないわ。 困ったもんです。

 

世の中に非常に上手くて魅力的な絵が描ける絵師さん、面白い作品が描ける漫画家さん、小説家さんは山のようにいらっしゃる。受け手の立場だけで満足できたら自分で描く必要はない。でも描く行為で孤独も辛さも忘れるなら、やはりその過程に意味があるのでしょう。瞑想法は人それぞれだし。

 

AIのおかげでそれに気付けた(^^) 「気付く」というのは魂の重要な作業なので人にしか出来ない。AIがもたらすのがディストピアなのかユートピアなのかは人による使い方次第じゃないのかな?

 

そろそろ私も何か描きたい。ちょっと間が開いたし裳唐衣もいいかも。ゴールデンカムイ風は微妙にタイミングが難しそう。キャラがその気になってくれないと…(^_^;) かさねの色目は大分サンプルも仕入れたし。

 

 

 

 

 

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