予約が取れた、ラッキー(^^)
わーい、一昨日はまったく空きがなかった弟のワクチン3度目の接種会場ですが、昨日の午後、ふとサイトを見たら、私と同じ日時の同じ会場に空きがあって予約出来ました。空き枠は「あと5人」でした。こういうのを「らちがいい」とか言うのだ(^^;) 一度に全部済みそうです。
見えないどなたかのはからいだと想像するのも楽しいな(^.^;) 仮に副反応で打ちそろって寝込むとしてもいつものことだしね。大抵いつも2人がそれぞれに寝込んでるしね。大差ないかも。
あ、ゼリー飲料だけ念のために用意しとくかな。それくらいですね。あとは大抵揃ってると思います。カロナールは2人ともクリニックで頓服でもらっているので。そのクリニックの受診が28日で、その日に採血も。まあ、わりとスムーズにことが運びそうです(^^;)
タクシーワンメーターで行けて一度に済む。助かります。看護師さんにも伝えねば。
誰かの計らいを感じる
実は私、こういうふうに非常にタイミング良くことが運ぶのは目に見えない守護の存在のおかげだと思っております。単に自分のラッキーだと思うと、そこでストップしてしまってつまらないんですよね。
それに見守ってくださる存在をいつも感じていたいので。これが精神安定に非常に効果があるんです。パニックを自分で治す過程でも不可欠でした。それと自分の身体の状態をかなり冷静に観察するメタ認知と。
この本を読み始めたんですが、私も知らずにやってたわ、10代の頃からメタ認知。勉強にも応用してたかもね、無意識ですが。
ちょっと上からの視点にはイマジナリー・フレンドの存在も感じます。
2019年、家の売却から引っ越しがコロナ直前に大変タイミング良くいったのもそういう方々のおかげ(^^;) 実在の方々からの適切なアドバイスをいただけたり、本当に振り返っても奇跡みたいに目茶苦茶タイミングがよかったので、これは単に運がいいのとは違うなあ、と思いました。
だから非常にタイミングがいいことがおきると「誰かのおかげさま」と感謝しています。そうしたら忘れた頃にまた次があったりします。面白いわあ(^^) なんかもう確信してしまった(^^;) だからありがとうございます(^^)
特別な信仰はないし、自分のことは殆ど願いませんが、家族や親しい人の健康や無事は毎朝祈ります。いつも朝は頭がクリアですが、昨日なんか祈りの途中で頭の中が真っ白になってしまった。いつも神仏の前ではそうなるんですけどね。神社とかお寺とか。
自分のことは願わずに自分の力で最善を尽くしたあとに、そういうベストなタイミングのあれこれが出てくるから面白いです(^^;)
昨日、看護師さん(男性)に美容師さんとの再会の話をしたら「そういう偶然はめったにないですね~(^^)」と言われて、まあ私が違う所に引っ越してたらその偶然もなかったよね、と思うとご縁というのの1つかもしれないし、やっぱりご縁は面白いなあ、と思うのでした(^_^;)
その人を見る基準
いつの間にか私、人が見ている視野を見るようになってしまった。専門家の専門知識や経験は尊敬に値しますが、その人がどれだけの時空間を見ておられるのかを無意識に見ているんですよね。これは私自身にも当てはまるから結構厳しいです。
父がいつも「専門バカというのもおるしな」と言っていました。そこが多分視野の広さと関係するね。本質に近いね。専門には知識があっても人としてなにかが足りないと感じる人は視野が狭かったりします。
長きに渡って研究開発されているものは自分が生きている時間帯のみならず、生まれる前の記録や未来への可能性も含めて広く長い時空間を視野に入れておかないと間違う可能性があると思う。そこまで見てやっと謙虚になれるのかもしれないです。
そういう意味では現在の市井の記録も大切。
私のブログはのちの未来を想定してそうな気がする。
未来に生きる人達に参考になることでもあればしごく嬉しい。清少納言ほどではないけど、ただの一般人ですけどね(^^;)
まだ先の未来が続いていればいいね。生きている人がいればいいね(^^;)