なかなかですねえ…(ーー;)
寒いです。すでにやっぱり休みたいです。
あちこち痛かったり調子が悪かったりで、またなかなかスーパーにも行けていません。
左胸が時々痛いんですが、場所がほぼ限定されてるから腕からの痛みかなあ、とは思います。だから重い物が持てません。
「左胸が痛い」でAIの先生に相談したら「適応障害の疑い」とか言われちゃった。このごろ心因性が多いからなあ。まあ、心臓の病気でなければもういいです。どうせ月末に受診するし。
たいしたことしなくても腕って疲れるみたいで、この前は左手の薬指と小指が痺れてて、さすがにこれも腕から来てるんだろうと自分でツボを捜してマッサージ。で、改善しました。自分で届くツボだといいんだけどなー。
一昨年までは週1で訪問マッサージに来てくださってたのがありがたかったです。
それを再開しようと思うと、主治医の先生に書類をお願いしたり結構いろいろかかるので悩ましいですね。前にお世話になってた先生はもうああいうハードなお仕事は無理っぽいし。自分で捜して行くと結構かかりそう(^^;)
頭痛は眼精疲労もだけど、肩や首の凝りとも直結してるし。背中が凝ると胃の働きが悪くなるし。私ってよっぽど血行が悪いんだと思います。だから十数年マッサージはありがたかったですが、この2年はずっと我慢しています(-_-;)
「病気の患者さんとどう接すればいいんですか」
— ゆるぽた🍼精神科医🗯 (@lapidpsycler) 2021年11月11日
って聞かれることがあるけど、基本普通でいいんです
その接し方が本人にとっての大きなストレスになってなければ
腫れ物扱いされる方がつらかったりするんです
うちはずっとみんなが患者でもあったから、家事などはその時にいちばんマシな人がやってましたね。それもやっぱり母と私だったかな…。
意志を曲げない私
ぼんやり思い出していたんですが、私には親兄弟が相手でも絶対に意思を曲げないところが昔からあったよなあ、と思います。
基本的に理解がある両親でしたが、本当に安心して「うん」と言ってくれるまでは気長に説明して理解してくれるまでは諦めなかった、というか、本当に喧嘩にもならないくらいに粘り強く話していたからなあ。よくも悪くも「絶対に折れない意志」というのはありましたね。
で、その個人的に大事なものっていうのはやっぱり「お金には変えられないもの」でした。
両親もあまり物を持たない人なので、変えられないものがたくさんあるのは知っていましたし。
私はその中から「決意」とか「信念」をぶつけたりするわけで、きちんと理解してもらうにはそれなりの努力が…さほど必要ではなかったかな、我が家の場合(^_^;)
うちは現在、二人分の障害年金しか収入がないので、金額的には生活保護費より少なく、完全に市民税非課税世帯になります。それでもお金で個人情報は売らないぞ、というのはやっぱり信念かもね(^_^;) どうしても曲げられない筋であるのは確かです。
逝く人たち
最近訃報を聞いても、みなさんがうちの親よりも年取って亡くなられているので、ああ、もう充分に生きはったやなあ、という感慨しかない。いろいろ大変なこの世で本当にお疲れさんでしたと思うので、悲しみはないです。我ながら不思議です。
こういうところにお知り合いの方が関わられていて、寂聴さんもそうだったと思います。で、何度かお願いいただいて、カットなど描かせていただいて、そういうご縁。いまも続いていたのですね(^^;)
みなさん、そこそこのお年で人生を全うして逝かはるんやから、そんなに嘆かんでも。「長い間いおつかれさんでした。ありがとうございます」でええと思います(^^)