いろいろ疲れたので今日は短めです。
弟は厄続きの最近
昨日弟が「内科受診したいけど、予期不安が強いから付いてきて欲しい」と言ってます。すぐそこやん。医院だから「なにかあってもなんとかなる」ってなんで思えないんかなあ?私はそれでパニックを克服出来たのに。不思議。
でも受診して土曜日にワクチン接種しても大丈夫という許可を貰ってきたのでこれでやれやれです。多少なり強引でも「行こうか?」と言えますので(^_^;)
素人が予期不安を抱えているより早いんだってば(^_^;)(若干意味はズレるけど)
しかし本人が言ってるけど、次から次へいろいろアクシデントがあるのは厄年のせいかもしれません(-_-;)
あご下のアテローム
↓
脚のむくみ
↓
眼鏡が壊れた
↓
お尻のアテローム
↓
ガラスのかけらを踏んで踵にケガ(いまここ)
ひとつましになると次のアクシデントが……。厄払いが必要?と思ったけど、そこまでしなくてもいいようではありますが……(-_-;)
病気には負けないこと
これ、とてもいいな、と思ったのでフレームに入れてみた(^^;)
精神疾患の人達は生きることは当たり前でないことを知っている。普通に出来ることは普通でないことを知っている。それはすごく尊いことだと思う。今私達は物凄く価値のある体験をしているのかもしれない。
— ちづ (@0117_mia) 2021年9月5日
すでに頑張ってる人に「頑張れ」と言うのは限界があるし
誰かの代わりはいて大体はどうにかなると安易に考えがちだけど、災害であるコロナ禍でそれは打ち砕かれた。同期の救命士が職場を去る。「あれだけ経験のある人がいなくなる」と現場に与える心理的衝撃は凄まじく疲弊感と虚無感が広がる。他の誰かを補充すればそれで済む話しではない。人材こそ宝。
— ぽんこつQ²隊のぼやき💭 (@80lightyear) 2021年9月5日
いくら箱物を作ったところで、それを運用できる人がいないとお話しにならない。また、人材をイチから育成するのは時間も労力も金もかかる。
— ぽんこつQ²隊のぼやき💭 (@80lightyear) 2021年9月5日
今ある限りある資源を持続可能な範囲でどのように分配するのか、そんな当たり前の話しがどこの世界でも通じないようだ。朝イチから落ち込む。
引き止められない。
— ぽんこつQ²隊のぼやき💭 (@80lightyear) 2021年9月5日
疲れきった人に対してもっと頑張れ!とか逃げるな!は酷だよ。
今までよく頑張ったね。あとは任せろ!と会ったら伝えようと思う。
甥や姪の夫や医療の世界で頑張っている多くの人たちを思うとね、やっぱりね……。「コロナが一段落したら仕事を辞めよう」と言っている医療関係者など、本当に少なくないのです。それだけ消耗している人が多いのだと思います。
お世話になった訪問看護師さんも後継を育てるために看護学校の教師に戻ります、って辞めていかれましたし。お元気かなあ?と今も思います。私、一度お世話になった方々は生涯忘れません。介護関係のみなさんもそうです(^^) 時々「お元気ですか?」と心の中で尋ねています(^^;) きっとみなさん、この状況の中で疲弊されてると思うから。
「コロナはただの風邪」という人を責めてしまうのはそういう消耗が激しい仕事でギリギリに辛い思いをされている方々を思うからです。どんな主義主張も大切に公平に対応するお仕事の前では色褪せる。
でも引き止められない消耗をされた方には充分な休息を願います。本当にお疲れさまでした(/_;)
だからもう、そういうところから脱出したい人、こそっと抜け出して戻って来て欲しいです。詳細は以下のnoteに書かれています。これでいいと思います。
逃げるのは恥でもないです。勇気です。
ちなみに私は5年後に死のうが、トマトが生えようが、5Gに繋がろうが(お得やん)、磁石がくっつこうが一切後悔はしてないからね(^^;) DNAは変異するならいいほうにしか変異しないというのを信じてるし(^^;) そもそもたいした問題じゃないです。生まれつき抱えている事情の方がずっとしんどいし。
だからへんな副反応はほぼ現実に起きない予期不安と同じにしか思えない。起きてから考えようね、という感じかも(^^;)
あ、これ非常に重要な情報です。今、反マスク・反ワクチンに関わってて、人の繋がりゆえに抜けられず困ってる人は必読。で、このツイートにも反応せず、書いてる通りにしてください。
— PKA (@PKAnzug) 2021年9月6日
反マスク・反ワクチンから抜け出したくなったら|ハラオカヒサ #note https://t.co/nQbkcng6cA
noteはこちら。
フェードアウトでいいのよ、フェードアウトで。戻って来なよ。
不思議なミルクティ。記事を読んでいるあいだに無性に飲みたくなってきました(^^;)
意外な長続きのコツに気付いた
そういえば去年私もnoteに登録してみたことがあるんですが、あの画面ってカスタマイズもデザインも出来ないんですよね。だれのページも同じ。そのかわりに本当に文章の中身で勝負する人には向いてる気がします。
が、私は駄目だ。つまんねー。遊びが出来ないときっとすぐに飽きる。続かないと思いました。だからすぐにやめました。私にはあの体裁はつまんないです。まあ、人それぞれなんですけど(^^;)
私の場合、20年間、自分のサイトのトップ画像を四季にあわせて 変更してきた癖って抜けないですね。 それでブログのカットなども変更しないと多分飽きます(^^;) 長続きの裏には実はデザインの遊びがあるのかも……。 遊べないと飽きる……(^^;) ブログ自体に飽きないために遊びが必要なんです。
どうも私にはこういうところがあって、仮に仕事でも勉強でも「面白い。楽しい」と思える心の遊びの要素がないと駄目なんだよね。遊びで気分転換するから飽きずに続けられる。きっとそういう要素が大きいなあ、と思います。
これはやっても楽しくないと思ったら直ぐにやめる傾向に。実際に時間の無駄ですし(^^;) 少しでも面白いと感じることはやってみる価値があるわけで、考えればこれも幼少時から基本的に変わっていないことでした。
「遊びやせんとや生まれけむ」を地で行くような感じかもしれません(^^;)
教養に飢えていた人たち=進歩に兆す時代
これって本当に終戦後まもない頃の写真ですね。角川文庫の創刊の文章とか、ベトナム戦争終結後のベトナムの人たちが意欲的に英語の勉強をしてた、という話なども思い出しました。やっぱり知識は武器なんですね。
なんていい写真なんだ…こんな時代があったと思うだけで感動のあまり泣きそうになってしまいます
— むぐれしあ (@Mgreshia3) 2021年9月6日
書店でバイトしていた時の店長は、当時を回顧して「うちに初めて岩波文庫が入った時は、この辺りだとうちが初めてだったから多くの地方から客が来て長蛇の列が毎日できていた」と言っていました pic.twitter.com/wEqTmRxnOp
そういえば「教養書」ってなんだろう? 私は基本的に教養のために読書はしないけど、どこまでも好奇心と向上心と楽しみのためにしか本は読んでないですね。けど「教養に飢える」っていうのはなんとなくわかります。 ここで文化に飢えているように。
何十年たってもどこかに残っていて、唐突にふと顔を出すような残り方ももしかすると教養なのかなあ?と思ったり……(^^;) もちろん一緒に育ってきた感も大きいとは思いますが(^^)
短めと言いながら結局長くなった。すみません。