少しずつ秋の準備?
うちの団地は京都市の南の端っこにあるので、そこの道の真ん中からむこうは宇治市なんですけど……。昨夜消防車が京都市側から宇治市の方に走っていったから緊急事態はそうなるみたい。
以前弟がスーパーの前で転んで、警備員さんが救急車を呼んでくださった時も、スーパーの住所である宇治市の救急車でした。道を境に管轄が違うのね、と妙なところで感心しました。そういえば警察官も宇治市警の人でした。
その弟ですが、切った傷が痛いからドラッグストアで薬をもらってきて欲しい、と。案の定なことを言いました(-_-;)
健康な家族がもうひとりいたら頼めるのに。昨日の気温は36℃らしいとか言ってたし(-_-;) うんざり。
でもなんとか頑張って行ってきました。スーパーとドラッグストア。
雨と猛暑のせいでお野菜が高い。好きな葉物野菜も買いづらくて、やっと行ったスーパーで冬瓜1/4切れとか買った。まあ利尿作用もあるからいいかな。緩くとじてあんかけにして、おろした生姜をいれて食べます。
ドラッグストアもせっかく行ったので、人工甘味料と(これは自分では使いませんが)前髪用のスタイリング剤は購入。100円ショップでスリッパ(100円ではなかったようですが)も購入。フローリングを裸足で歩くのは抵抗があって。
もっと必要なものはあるんですが、荷物が増えると困る。これだけでも自転車に乗らずに押して徒歩で帰ってきました。
どうも私、足下の道などのでこぼこがすごくわかりにくくなっています。眼のせいか脳のせいかわかりませんが、わずかなでこぼこで脚を踏み外しそうになるのが怖いです(ノ_・、)
これも加齢なのかな?痛いなあ。
体質が変化する時かも 秋仕様
なんかね、微熱の夏を越えて、やっと少しずつ動けるようになりつつあるのかな?という感じです。昼間はまだ駄目ですが、現在フォトレタッチの作業をやっているので、いままでよりも横になる時間が短縮。読書時間も短縮。それでも座っていられるのは少しずつましになりつつある気配かもしれません。
私は大体冬はわりと元気というか、まだましに動けるので。弟の用事はあとは来週の内科と眼鏡屋と来月5日のワクチン2度目だなあ。それでそろそろ体調が落ち着いて欲しいです。私まで一緒に動くのはしんどいですし時間も体力も奪われます(-_-;)
あー、そういえば昨日「要支援1」の認定が来たなあ。まだ事業所に連絡していませんが。「心身の状況により、要介護状態とは認められないが、社会的支援を要する状態にあると認められる」と。弟のことだけでも自立支援でつきそいとか掃除とかもフォローが可能になればかなり助かりそうな気はします。やっぱり同居家族の影響は大きいです。
そういえば、この3、4ヶ月、占いが当たらなくなったので自分でも占わなくなりました。ペンジュラ厶一択です。あ、易はときどきやりますが。
オラクルカードはもう長く触らなくなってますね。webでお遊びでやっても当たらないので、こういうときは無用なんだなあ、と思います。
もともと私は自分の心が9割以上決まってから、念を押す形でしかやらないから、そのかわりはペンジュラ厶で十分なんですよね。もっともこれも扱いにはかなりの条件があるみたいですが。
いま現在真摯に悩むテーマがないのかな、とも思いますが、きっちり自分の方向性が定まっていないのもあるかな、と思います。自分軸がふらふらしている時に占っても意味がないから、必要になるまで手を出さずにおきます(^^;)
いや、軸は揺らいでないけど、どっちに行くかな?が不確定要素じゃないかな、と。
まあ、そもそも私は占いで行き先を決めるタイプではありませんが。やっぱりきっちり調べて考えて自分が選択しないと気が済まないですね。
保育園事情も複雑で困るのは親と子
事実だけ並べると、京都市が財政難で聚楽保育園を民間移管すると決定。
— ymils(イム)⚡ (@ymils_y) 2021年8月25日
そこにボークスさんの企業保育園から独立したきらきら福祉会が名乗りを上げた。
ところがボークスさんは美少女フィギュアの企業という事で猛反対した人が出た。
きらきら福祉会は撤退。
手を上げる企業が出ないので、廃園が決定。
えー、もったいない。ボークスさん、しがない模型屋さんの時代から知ってるけど、全然悪い印象ないのにね(-_-;) うちの子もボークスさんの生まれだし(^_^;) 見る目のない人は損をする。そして子供が可哀想。
昔から知ってると、堅実な会社だと思うし、世の中にたくさんあるフィギュアでも厳しい目で見ている私に嫌悪感を与えないくらいだから問題ないと思うのに。見る目がない人だと訴えておこう。
なんか舞台裏がどろどろの沼のような印象でよほど危ない感じがします。厄介ですよね。
私たちがまだ子供の頃(私は中学生くらいか?)父が趣味で飛行機のプラモを作っていたので、弟も含めて3人で行ったことがあるんです。本当に町中の小さな模型屋さんでした。そこから随分発展したなあ、と思います。私は球体関節人形の普及にもっとも貢献した会社だと思っています(^^)
うちの子が生まれた時(2002年)、嵯峨にある「天使の里霞中庵」はまだ存在してなくて、私ははるばる長岡京のショールーム(ここはいまはもうないです)までお迎えに行きました。その後、ずっと箱の中で待ってて、2015年、エステのために里へ。私はついでに撮影も(゚∀゚;
ゆるーくながーいファンなんですね(^_^;)
なんか何十人も集めているオーナーさんもいらっしゃいますが、もともと高価であるのと、そんなにたくさんの子がいてもかまってあげられないし、私はひとりで十分。唯一無二な子です。介護でかまってあげられない時もずっとイメージモデルにしていたので、イマジナリー・フレンドの3次元化になりました(^^;)
私自身が着飾るよりもなにかあればこの子に着せるほうが楽しいな。私が死んだら一緒に焼いて欲しいと頼んであります。分身だから。ペットがいれば自分の亡きあとのゆくたても考えるのと同じです。私にとっては生きているから(^^;)
実はこの子に手をかけるのも結構体力が必要なこの頃です(-_-;)
週末、各戸訪問して敬老会の70歳オーバーの名簿を作らねば。そういえば「来月越します」と昨日挨拶にこられたお宅がありました。9軒になるのかな。雑用も結構あります。各家のタイムスケジュールも違うから一度ではすまないでしょうし。