在宅で出来る仕事も増えるかもしれない
昨日、こちらに引用したTweetがまた結構な数の「いいね」をもらってるんですが…。
引きこもっていた人が肯定されるのもいいですね。私は子供のころから多数になじめない少数派だったので、自然体で強く優しくいられる世の中になって欲しいと願っています。その方が誰にとっても生きやすいと思います。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年4月21日
まあ、少数派にも穏やかな世界であればいいなあ、というのが主旨で、ひきこもっている人たちも、この機会に偏見が少なくなるように、家でも出来るなにかのスキルが身に付けられるといいな、と思っています。
ネットがなかった時代では家で出来ることっていうと、手に技術が必要で、だから私も洋裁を習ってちょこっとアルバイト的に縫いましたが、とても独立出来るほどではありませんでした。
辛い記憶が飛ぶ「解離」
洋裁を始めたのが19か20歳頃かな。
高二の夏に慢性盲腸になってから慢性膵炎になってパニック障害にもなって、それ以降のことってあんまり覚えてないというか、注射をしてもらってタクシーで授業に走ったのが秋だったような気がする…。
それ以降はほとんど記憶にありませんね。高3って担任がどういう人でどういう授業だったかも覚えてないです。
二月に弟が耳鼻科で出血を止める治療中に、もう4時間近く処置してもらって、最後には痛みで失神したので、精神的にもそういう現象が起きたんじゃないかと思います。自己防衛本能ね。
まあ、鼻血の方はカテーテルの治療で止まって、記憶がなくなったりはしていませんが、弟に聞くと「不安が増した」というので、それなりのダメージはあるようです。
私の場合は高3の当時とその前後を含めて1年半くらいの記憶がほぼありません。本当にぽこっと単独で思い出すことはありますが、自分のことはあまり覚えてないです。離人症ぽくなっていたのは覚えてますが。キーワードは「学校」と「病気」で、のちにも30数年トラウマになっていて、悪夢の形で私を苦しめました。
記憶がない。これって自己防衛本能のなせる技だと思います。必要なければもう思い出さなくてもいいと思います。ちゃんと生活出来てるし。
解離性障害とは
私たちの記憶や意識、知覚やアイデンティティ(自我同一性)は本来1つにまとまっています。解離とは、これらの感覚をまとめる能力が一時的に失われた状態です。たとえば、過去の記憶の一部が抜け落ちたり、知覚の一部を感じなくなったり、感情が麻痺するといったことが起こります。ただ、解離状態においては通常は体験されない知覚や行動が新たに出現することもあります。異常行動(とん走そのほか)や、新たな人格の形成(多重人格障害、シャーマニズムなど)は代表的な例です。これらの解離現象は、軽くて一時的なものであれば、健康な人に現れることもあります。こうした症状が深刻で、日常の生活に支障をきたすような状態を解離性障害といいます。原因としては、ストレスや心的外傷が関係しているといわれます。この心的外傷には様々な種類があります。災害、事故、暴行を受けるなど一過性のものもあれば、性的虐待、長期にわたる監禁状態や戦闘体験など慢性的に何度もくりかえされるものもあります。
そのようなつらい体験によるダメージを避けるため、精神が緊急避難的に機能の一部を停止させることが解離性障害につながると考えられています。
この説明で見る「このように高い精神性と鋼の精神を持っている斗宿ほど苦労している。幼少期から青年期になるまでは不遇の時期と言われていて、青年期には一つ越える壁があると言われている。」という「不遇の壁」は多分やはり病気だと思います。
でも確かにこれを大きな壁とするとその後の人生もほぼ壁の連続なんですけど… (^_^;) でも漫画描いたり同人誌やったりは非常に楽しかったので、まあよしとしよう。何ごとでも数をかさねると楽になるのと同じかな?
「マイナスの記憶は反芻しない」という手法もこの時に身に付けたっぽいですね (^_^;) たぶん忘れないとトラウマとして焼き付いてしまうと思ったんじゃないかな(それすら覚えてないけど)
ああ、だからフォローのためのイマジナリー・コンパニオンかあ、と思いました。
できるだけ頭は使いたいです
私も健康上の理由で結構ほぼ引きこもりな生活をしてますが(現在も含めて)いまだに税金とお金の使い道関係では時々「障害者優遇」ということについての誤解と偏見を感じることがあります。
障害がある人と対等におつきあいが出来ない、と言った人がいましたが、そもそもスタートラインが対等じゃないし、そのために自分の取説を作ってるんですが、そういうのはやはり理解しづらい人があるみたいですね。特別扱いして欲しいわけではなくて、配慮してもらわないと同じ位置に立てないのはどうしようもありません。
この絵はわかりやすいかも。
特に健常者であっても所得が低い人はこういうふうに思ってしまうことがあるようです。わからなくもないですが。
でももしなんらかの公的サービスを受けられるような条件になっても自分が偏見を持っていた分、素直に申請出来なかったりするんですよね。
素直にやってみようという人は「ああ、この人は偏見を持っていない人だなあ」と思います。
自分が相当な弱者の位置にいるから、そういうことがものすごくよく見えるようになりました。いいか悪いかはわかりませんが、自分の中の平等とか公平とかはよくわかります。
どんどんいろんなことが見えてくる
10万円一律給付でも「自分はいらない」と拒否する人がいて、それを美談にしたがる人もいるんですけど、そうじゃないです。
10万円、自分が必要なかったら、大学生に家庭教師頼むとか、フリーで受注している人に仕事を頼むとか、豪華な食事を作るとか、クラウドファンディグに出資するとか寄付するとか使い道はいくらでもありますよ。是非使ってください (^_^)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年4月22日
うちは単に家計の補填です。(多いよねこういう人)
オンラインでも家庭教師出来るよね?高価な食材を買えばお店の人が喜ぶし、日頃お世話になっている人にちょっとしたプレゼントをするとか、便利屋さんに庭の手入れを頼むとか、家から出なくても出来ることって本当にたくさんあると思うのです。
他人のためにお金を使うっていうのも、経済を回すために有効なのは今ですし、そのためのお金でもあるんだから、国庫に戻すのではなくて、誰かのために使うことがすごく大事だと思います。
なんだかなあ…そのへんのことがわかっていない人も少なくないですね。
これから先は特に柔軟な思考と行動が出来る人が必要とされる時代になると思います。
「マスクの色は白」とかって馬鹿げた規則を明言している学校とか会社とかって生き残れないよ。臨機応変な対応が出来ないと。固いあたまのままでは対応出来ないことが圧倒的に増えると思います。
ある意味、アイデアの時代というか。高価でなくてもあっと驚くようないいものが必要とされそう。
そういう意味ではこれからの展開に期待してはいます (^_^;)