公的な雑用のあれやこれやと
今日はやっと役所に行ってきました。
住所変更だけでも、私らの場合は福祉の分もあるし、さらに弟の分の書類も書かないといけなくて、時間がかかりましたが、おかげで新しい電話番号を覚えました。携帯番号はいまだに駄目なのに不思議ですね。
区役所には1時間半以上いて、まだ医療費限度額認定証の変更もお願いしようと思ったら、弟が「しんどい」と言い出して、さらに作業療法士さんが来られる時間帯が近づいたために、そこで一旦諦めて帰ってきました (ーー;)
同じようにとっちらかっていても、自分でどこになにがあるか把握しているのと違って、なにがどこにあるかわからないストレスは大きいです (ーー;)
指先の穴でキーを打つのも痛いけど、仕様がないです。本の片付けにかかれるのっていつのことやら? (ーー;) 日々あっというまに時間が過ぎます。
「迷ってしまいまいした (^_^;)」
「いや迷いますよね。私も隣の棟と待ちがえたし (^_^;)」
「でもここまで来ましたね (^_^)心配してました」
「おかげさまでやっとです。まあ、ここから後退する心配はありませんし」
…などという会話をしました。
本当にこの2019年は「不動産と転居の年」になりました。マジで一年仕事。長いような短いような不思議な感じです。
一日一歩でも一年で365歩(という歌があったなあ)
昔、同人誌用に漫画を描いていた時、毎日たとえ1コマでもいいからのろのろ描いて、途中で諦めて投げ出しさえしなければいつか完成する、と思っていたけど、現実のどういう大変なこともやはり同じ要領で続けて諦めなければ、きっと完成する、というのは同じだと思います。
「成功する」という価値観は私とは無関係なので、「完成に至る」とでもいいますか。そういう感じですね。
逆に諦めもいいですよ。諦めないことと、諦めていいこととの違いが自分の中で明確なのです。これは出来ることが限られてしまう中で、常に優先順位をつけているからそれの延長だと思います。
途中で投げ出すなら、最初から引き受けないです。
こういうのがわりとあてはまっているかもしれません (^_^;)
目指すのは成功じゃないし、努力した意識がなくてもいい
去年の今ごろは自分一人で相続登記をしていました。
大規模断捨離を経て、裁判にしようかと悩んだ不動産屋との攻防と、市営住宅の入居にまつわるあれこれと、いっぱい大変だったけど、ここまでこれて本当によかったと思います。
まあ、諦めていたらいまごろホームレス状態だったでしょうが…。
諦めない、というのも継続の力のひとつだよなあ、とここまで来て実感しています。作品完成させて本を作ったくらいの充実感はありますね (^_^;)
途中で諦めてそれまでの努力を無駄にしたくなかっただけかもしれません (^_^;) そんなもんだよね。自分が決めたことだし。
精神障害者にしては私の人生の課題はいつも重いんだけど、なんとかくぐり抜けると徐々に自信がついてくるというおまけつき (^_^) 次にピンチになってもきっと大丈夫と思えるようになりました (^_^;) 目茶苦茶鍛えられてます。
そしてどこにいっても親切な方に出会えるからとても嬉しいです (^_^)
一年がかりの歩みのゴールは単純なもの
ゴールは「自分が《やったね (^_^)》と納得出来る地点」なんですよ、私の場合。はたからみた成功とか目立つものなんか別にどうでもよくて。でも「自分がやれるだけやったからこれでいい」と納得出来たら充分なんですね。
ここまで来て初めて「ああ、努力してこれたのかなあ」という感慨になります。ものすごく地味です。でも私はそれでいいんだと思います。
人間はいきなり100m先の場所には立てないから、のんびりゆっくり自分のペースで歩いて行って、それでいつのまにかゴールに着いていた、というのがいいですね (^_^;)
これ、お絵描きのメイキングの時もよく言ってますね (^_^;)
あ、でもまだゴールじゃないんだな、実は。すべてがあるべき場所に片付いて、心置きなくお絵描き再開出来る地点が私の今回のゴールです。
そうなんです。この一年がかりの大きな転機は「生涯心置きなくお絵描きが続けられること」と「気持ちよく入浴出来ること」の二つなんです。そのために頑張ったと言っても過言ではありません。人生なんてこんなもんです (^_^;)