姪に送る荷物をまとめる
夜中の12時過ぎに起きているのは、昨日は昼寝しないように頑張って、それでも午後7時に寝落ちして、5〜6時間は眠って自然に目が覚めたからです。ベルソムラは飲んでいません。
でももう眠れない。
リズムがズレてますね。
昨日は受診と銀行と薬の仕分けだけで半日潰れましたが、午後は姪っ子に送ろうと思っていろいろ荷造り。ドールやぬいぐるみ、バッグ、レジンの用具とUVライトなどなど詰め込んでいました。140センチの段ボールがいっぱいに。消費税上がる前に送りたいと思います。それでも2,000円近く送料がかかります。
それには入れる手紙も書かないと。このデジタルの世の中で姪と文通する私 (^_^;)メールも使いますけどね。ケータイのメールは打つのがめんどい。
子供たちが楽しんで開けてくれると嬉しいな、と思います。ぬいぐるみとか結構あったし。姪もMomokoとか好きそうだしな (^_^;)
そういえばMomokoに女子高生制服バージョンがあるんだけど、姪っ子を思い出すので、手元に置いておきたいです (^_^;) 高校の時は一度も見てないのに不思議。
こんなの。
この世とあの世はどこかでつながってる
R50の私の子供の頃は
— 箱 ミネコ(単行本発売中!) (@hakomine) September 9, 2019
お葬式の返礼品に「赤飯の折り詰め」
普通だったです
冠婚葬祭に欠かせないのがお赤飯
お葬式帰りは「塩をまく」と同じ意味合いで
「赤い飯で厄払い」という感覚
こういう「厄除け」「厄払い」の感覚が薄れ
「赤飯は凶事に不謹慎」って解釈が
台頭してきた気がするです
そういえば昔はなにかというとお赤飯だった気がしますが… (^_^;)
なんというか、これも「眼には見えないけど感じるもの」として、自分の体験なんですけどね。第五感とか第六感とか、そういう感じの。アンテナの感度には個人差はかなりありそうです。
お赤飯、そういえば、と思い出す。今は簡略化されてるからなー。でも身内でひっそりと喪の儀式の思い出話にひたるのも悪くないかもしれません。そのへんで本人が聞いてくしゃみしてそうなのも好き(^^) https://t.co/jfbkSDnJSI
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) September 9, 2019
母の死後半年くらいは特にこだわりがないのにやたら果物が食べたくて、これは胃ろうで長く好物が食べられなかった母が私に憑依して果物食べてるんじゃないかと思いました。
特に冬柑橘が美味しかったですね。甘夏とか毎日買って食べてた。母と一緒に食べてた感じ。
今はもういません。満足して行っちゃったかとちょびっと寂しいです(^_^;)
それと母と同じように狭心症になったというのも、あって、これは忙しくて自分のことどころじゃなかったから、母が知らせてくれた気がします。これも通院と服薬で改善していますし。
本当に死後49日くらいの間は普通に身近に気配を感じるんですよね。生きている人の延長みたいに。これも霊感じゃなくて、家族や友人や親しい人の気配として感じます。
家の中などにいるのが当たり前なのが徐々に気配が薄れていきます。そういう時期を昔から49日というんじゃないかなあ。昔の人も特に信心深くなくても感じていたのかもね (^_^;)
そういうふうな死者にとっても遺族にとっても移行期間があるんだな、と思う次第です。 それで生ある人が徐々に立ち直っていけるような気がします。
「空気感」というのもあるような気がする
そういえば私沖縄は空気の密度が濃い土地だと感じました。海風もあるし、よく雨も降りますが、ちょっと重い?…感じ?独特の歴史や宗教っぽい伝統もありますし、そういうものにも心惹かれますが…。
でも体感では空気の密度が濃いとしか言えないなあ。ほかにうまく表現出来ない。
自然が多くても北海道は微妙に違うし、もっと隙間がありそうな気がします。京都も濃いけど、私はここには慣れてるし。それとも微妙に違うのよね〜。本当は私のようなタイプはそういう自然に近い場所で暮らす方がいいのかな?と時々思います。