希死念慮ー狭い範囲しか見えなくなっている時
ツイッターでつぶやいていたとても大事なこと、忘れないようにここにも(^_^;)
大事なことだから忘れないように書いておきます。私も先日体験したばかりです。
希死念慮があって、思いつめた状態でいる時って、本当にごくわずかな角度の狭い範囲しか見えてないんですよね。視野狭窄とはよく言ったもので。だから選択肢があるとは気づけないんです。
そういう時に身近な、信頼できる人から、「そうじゃないよ、もっとこっちに違う世界が見えるよ」というのを示してもらえるだけで、ふと視野がそれて、楽になれたりする。
友人、家族、主治医、看護師、カウンセラーなど身近でその人をよく見ている人の言葉は届きます。
別に励ます必要はないんです。ただ共感してそばで「こういう見方もあるよ」と言ってもらえたら…。いきなり視野が開けるので、答えは自分で見つけることが出来ます。
私もついこの間、希死念慮がありましたが、ちょうどその時に違う視野の先がありますよ、と教えてくださった方々のおかげでそこから抜けることができました。
あのままだったらまっすぐ前しか見えないでいたかもしれません。引き返すこともできず、ただ細い橋を渡るような…そういう時の支える視点は大事です。
しかもこれってお互い様のことがあって、私も去年逆の立場で誰かの視野を広げる役に立っていたことがあったんですね。まさに恩送りみたいに(^_^;) それでいいんだと思うな。
自分が辛かったから誰かを助けることができるなあ、と思ったので、それを忘れないように書いておきますね(^^)
ありがとうございます(^^)
自分が納得出来るラインが存在するみたいだ
調子が悪くて寝ていることがほとんどでしたが、寝ながら裏では不動産屋との攻防をやっていました。
そもそもこの攻防は最初から私が出していた大前提条件の「家を明け渡すのは市営住宅に当たってから」ということだったんですね。それというのも自分の体力や気力や諸々考えて「二度の引越しには耐えられない」という理由から来ています。
でもこれがいつのまにか口約束になって、勝手に期日が切られたりしたので、私も怒りました。無料法律相談に二度行って、それと生活相談所にも行きましたし。特に相談所ではベテランのもと議員さんが相談にのってくださって「裁判を起こせば五分五分だと思う。弁護士も紹介できる」と言ってくださいました。
でもこの段階で「五分五分」というので、私の中の何かが納得したんですね。ああ、もう別に裁判起こさなくてもいいや、と。要するに私の主張は正当性がある、と認めてもらえたんだと思いました。それで泣き寝入りじゃなくて納得できたんじゃないかなあ。(つくづく負けず嫌いかもしれない)
で、今回です。月曜日に場所はかなり妥協して市営住宅に申し込みました。抽選は来月半ば、仮に当選して引っ越すとしたら11月から12月になります。
当初、期日の区切りは9月30日でした。でもこれって市営住宅のスケジュールとはなんの関係もないんですよね。だからお願いしました。
30日に名義変更してもいいし、その代わりに今年中は家賃を払ってもいいからここにいさせて欲しい、と。結構泣いたり怒ったりしてたと思います。今から裁判起こすよりもマシな提案じゃないかと思いましたし。
今日の午後に返事が来て、とにかく12月20日までは待ってもらうことになりました。抽選に落ちたら、民間の賃貸を探して引っ越して、ここを明け渡すことになります。
でも今回も私の中の何かが納得した感じです。「腑に落ちた」感じと似てるかも。うまく表現はできませんが。何かが納得したんだな。
私も不動産屋もお互いに早く縁を切りたいと思ってるんじゃないかと思います。
でも何もやらずに相手の言うなりで諦めることは絶対にやりたくなかったから。それはこの家を手に入れるために奔走した両親の意志も忘れずにいたいと思ったからかもしれません。自分なりに精一杯やったと思いたかったのかもしれません。
こんなのね(^^) 後悔しないために。
勉強だけの課題じゃないのよね。
これもかなり前に読みました。
自己啓発本という印象じゃなくて、自分の中を整理した感じ。
病気にも自分にも負けたくないのね
もうちょっと体調がましになれば、また片付けと荷造りの続きをやりたいです。
とにかく私は「夏は動けない」と言うのがこの数年以上の通例になっているから、夏にイベントを設定するのが間違ってるんです。でも不動産屋はそう言うこと知る由もないからさ。
例年だと冬になると人並みの平熱に近くなるので動きやすくなるはずです。いつも年末年始とか色々やってるもん。冬ならば二度の引越しのうちの一度に耐えられるかもしれないと思いました。
あの大変な物置部屋の片付けを寒い時期から始めたのもそういう理由です。
同人誌も処分しないとダメだわ(>_<) オタクの荷物は嫌でも増える。
わがままだけでやってるんじゃないのよね。大きな体調の年間リズムを把握して動いているだけです。これも元気な人にはなかなか理解してもらえなくて辛いですが。なるべく迷惑をかけたくない、と言うのがなかなか伝わらないんだわ。悲しいことに。
こんな配慮がいらない人生って楽だろうなあ…(*-д-)-з
まあいいや。来年の年賀状は寒中見舞いになりそうだなあ、と思います(^_^;)