ゲリラ豪雨でも眠る
昨日の午後はえらい雷雨でしたが、私はその時寝てました。
昨日、作業療法士さんに「何科へ行っていいのかわからない不調」というのはやはりうつの症状ではないかと言われました。やっぱりそれっぽいですね、と納得しましたので。
司令塔が混乱してるから全身に影響が出てるんだな、と思いました。そして「とにかくよく寝てください」とも言われましたし。
どうもこういう病気の人は寝ることと休むことに罪悪感を感じる人が多いようで、ひどいと自分の心の声が「寝ちゃ駄目」という幻聴になったりするんだそうです。
「だから私はあちこちで寝てください、と言ってます」ということでした。
非生産的とかって思っちゃ駄目なんだなあ。自然とやる気になるまではもうちょっとぐうたらしようと思います (^_^;)
昼寝もしますね (^_^;)…ということで、起きていてもなにも手に付かないから寝ていてもいいかな、と (^_^;) これを書いている夜になってやっといくらか気分もましになるんですが。その暇を縫って書いているブログだったり…。
育ちの良さってちょっと違うと思う
昨日たまたま見つけた記事ですが、それ自体は興味深いと思いました。
続)まぁ人間を二種類に分類できるという考え方自体に疑問がないと言えば嘘にはなるが。これを読んで連想したのは、子供の頃、「試験の成績がよかったご褒美に物を買ってもらえる家/そうでない家」の違いは、その子の「成績がいい/悪い」と同じかそれ以上にクラスを大きく分けるなぁ、と感じたこと。
— 岡田育 / Iku Okada (@okadaic) September 4, 2019
続)「成績が悪く/褒美が有る」子たちからは「いいなぁ、そんなに成績が良かったら何でも欲しいもの買ってもらえるでしょう、恵まれているわね、え、買ってもらえない家なの? それは親に交渉してねだったほうがいいよ、私はダメでもあなたはそうできるんだから!」みたいな会話しかした記憶がない。
— 岡田育 / Iku Okada (@okadaic) September 4, 2019
続)わからないものなんだよな。自分がどのくらい恵まれて育ったかというだけなら、年齢を重ねて視野を広げて無知を潰せば自然と客観視することもできるんだけど。自分とは別の評価軸を持って何かを断じてくる人がいるときに、その構造を理解するのには、少し時間がかかる。元記事のトピックもそう。
— 岡田育 / Iku Okada (@okadaic) September 4, 2019
いや、これの「育ちの良さ」の概念が随分違うなあ、と感じてしまったんですよね。これは世代の違いかもしれませんが、私の世代はまだそんなに豊かではなかったので、成績がいいとなにかを買ってもらえるというのはなかったです。多分、他の家もそうだったと思います。それだけにあんまり家庭のあいだの格差を感じなかった気がします。
…てか、言葉で褒めてもらったりしたらそれで充分だったですよね。いまだにプレゼントをあまり喜ばないのはそれと関係あるかも…。
そういうのをお金やものに換算するのは違うと思うんだなあ。モノなんかさほど重要じゃなかった、という人たちが現在断捨離に励んでいるわけだから。幸せの本質がものじゃないってことに多くの人が気付いたんだと思います。
私はご褒美のために勉強したり、いい成績を取ったりしたことは記憶にないです。そういう時代だったかもしれないなあ、と思います。
でもモノがない時代ゆえにハンドメイドの価値はよくわかる人間になりました (^_^;)ブランドものに執着ないです (^_^;)
私はご褒美のためだったら絶対勉強しなかったと思う。つまんないもん。
そういう習慣がないのは当たり前で、自主的に学ぶ楽しさと効用を両親が自ら認識していたんだと思うのです。2人とも成績はよかったから。
毎月父の給料日に本を買ってもらうのがおこづかいをもらえるようになるまでの楽しみでした (^_^)
成績がよければ褒めてくれたけど、それでなにかを買ってもらうことはなかったですね。
私の感覚からするとご褒美がないと勉強しない子、っていうのはむしろ育ちがあまり良くない感じです。親が手抜きしているイメージ。
あまりにも親に経済的な余裕がなくて、そういうことをしてあげられないというのなら、それは経済事情が最重要課題になると思いますが。
哀しいことに…
こういう記事もありました。
感じる違和感の中にはこういうものもあるのかもしれないですね。
モチベーションの維持というのは「自分が伸びて行く実感を得られる面白さを感じる」ところにあると思うんですよね。そういう楽しさを自分で見つけていけるように、親が導いてあげる家庭に育つのが「育ちのいい子」という感じです。
そういうご両親は道徳的なことも日々のお行儀とかもおろそかにはしないと思うから。
経済的云々はあんまり関係ないな。モノのご褒美なんか必要ないしね。
でもそういうことを感じている世代が存在するのは確かで、そのへんで日本人の価値観も大きく変化したのではないかと思います。私よりも20歳くらい下の世代からかな?
世の中にモノが溢れたし、それに伴って多分良くない方へ。なんだか哀しい世の中です (/_;)
あの時の達成感 (^_^)
何年もかけてコツコツと長編の漫画とイラストを描いて、同時に働きながら印刷費を貯めて、数年がかりで本にして、新刊が届いて、紙とインクの匂いの中で眠る時、人生最高の幸せを感じた。長年の努力が形になって結実した充足感。オタク万歳!と思いました(^_^;) https://t.co/tN4BFf77Rb
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) September 4, 2019
その時に「やり遂げた感」があるので、現在病気や加齢で漫画が描けなくなっても悔いはないです(^_^;)あの時は神さまが力を貸してくれたんだと思っています。そういう充足感の満ち足りた記憶。私には宝物のような記憶です(^^)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) September 4, 2019
残りの人生はゆる〜くいけたらいいや。死ぬまで絵は描いてるつもりですが。