昨日は内科に行って来ました。心臓の薬がなくなったので。真面目に薬を飲むようになってから胸や背中の痛みがなくなりました。介護に気を取られて後回しになっていたけど、もしかしたら数年前から傾向があったのかもしれません。
介護中の皆様、ご自身の体調にもご留意くださいね(^_^;)
内科受診の後でかなりの時間横になってました。この時期はもうどうしようもないよね。生まれつきの体質だと欲張らない人生が当たり前になる。
でもやりたいことも夢もありますo(^-^)o
自分自身でそれを決めていけるのが幸せ。…と中学生の頃から知っていた (^_^;)
聴覚過敏…なんだろうな…
テレビCMの音が耐えられなくなってから30年くらい経ちます。これもやはりうつの症状じゃないかとも思いますが。
それからトーク番組が苦手になり、多人数でわちゃわちゃしてる番組も駄目になり、結局はTVを追放したけど、それらの要素を除いてCMなしで見たいものだけ見れるものが欲しくなってきたかもしれないです、最近ね、やっと。
野球ファンの作業療法士さんが「シーズン中の野球だけ放送してくれるチャンネルがあるんですよ」と言ってらした。シーズン中だけ契約できたりするらしい。
CMなしなら有料でいいです。スカパーとかかな?探せばフィギュアスケートだけとかドキュメンタリーだけとかのチャンネルもあるかもしれないしね (^_^;)
引っ越し出来たらそういうことも考えてみてもいいかもしれないなあ、と。弟がTVが見れるタブレットがあればテレビは部屋になくてもいいと言ってるが、小さいテレビなら購入も検討に入れてもいいかもしれない。
思えば私は民放テレビCMの押し付けがましいうるささが駄目なんだな。すごく神経に触る。購買意欲もわかないし。
最近やっと作業をしながら音楽が聴けるようになりました。右耳の聴覚はもう戻らないけど、でも基本は無音というか環境音だけが落ち着きます。小鳥の声や雨の音。遊ぶ子供たちの声。昔なら田圃の蛙の大合唱とか。
聴覚は良くないけど、眼が悪いのもあって、視覚よりも先に異変を察知するのは耳。だからイヤホンもヘッドホンも苦手。
両親の在宅介護中も異変をいち早く察知するのは音だった。だから聴覚が悪くても音には過敏になる。CMはそれを鈍らせる暴力のように感じる。
アンケートなどでもCMを見て答えたりするものがあるけど、それすら苦痛。それを一切排除する方法がこれからは最優先の選択肢になるかもしれない。
健康な人は感じないかもしれないが、私の脳は耐えられないと感じてしまう。そのへん脳の聴覚過敏なのかもしれない。
でも人の気持ちは視覚を使わない方がよくわかります。だから本心を知りたい時は眼を閉じて話を聞く。それで大体のことがわかります。
もらい泣きした「昨日なに食べた?」もうじき終わっちゃうのが寂しい(T_T)
自分に心地よい体調にもいい場所
そういう人間なので、私も本来は刺激が多すぎる場所には向かない。よく田舎のほうがいい、と言われるし (^_^;)
で、やはり過敏な体質のYukiさんは健康のために昨年道北に引っ越しされていて少し驚いた。顛末はここに書かれていますが。
彼女の場合はそれで正解だったみたいですね。よかった。人間も自然の一部だから、というのは忘れてはいけないと思います。
島猫さんみたいに一定期間山ごもりするとか、そういう方法もあるかもしれませんが、女性の場合は移住という形の方が安全かもしれませんね (^_^;)
興味深く思ったのは、Yukiさんが自分の体調と上手くつきあうヒントを見つけられたのが、病気についての本ではなかったということです。
これ、私、すごくわかります。自分の病気についての専門書は状況を説明してくれるし、理解する役にもたちますが、「どういうふうに自分の病気とつきあっていくのか?」という問いかけの答えはほぼ見つかりません。
私も双極性障害についての本は10冊も読んでいない気がします。それらをひっくるめて精神疾患関係の本を入れても2〜30冊くらいだと思います。
まあね、読書について言えることは、ズバリそのテーマで書かれている本の中じゃなくて、たまたま手にした、まったく違うテーマの本の中で適切な答えが見つかることが多々あることですね (^_^;)
哲学的なテーマで考えていたけど、答えが見つからない。ふとなにげなく手に取った漫画の中のひとこまに自分にぴったりの答えが書かれていたりします。
不思議で面白い読書の醍醐味だと思います。こういうのもシンクロニシティだと言えるのかもしれませんね (^_^;)