ここしばらくの間に何人かの方に「恭子さんはよく持ってる。自分なら答えの出ない状況には耐えられない」というようなご意見をいただきました。
不動産と市営住宅の関係のいつゴールが見えるかわからない中途半端な状況についてのことですね。
私もこの状況はすごく嫌です。でも自分が動いて解決させることが可能なら行動できますが、それが不可能なので、待つしかないし、仕様がないと思います。
あとはもう当選するまで不動産屋さんと交渉するくらいしかないと思います(^_^;)
で、これで思い出したこと、確か言葉があったよなあ、と2、3年前に読んだ本を思い出しました。
これね。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
- 作者: 帚木蓬生
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/04/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
強さとは何かと問われたとき、「曖昧なものを曖昧なままに抱えることができる力」と答えるようになって久しい。どうやら、その考え方を「ネガティブ・ケイパビリティ」というらしい。
「答えのない事態に耐える力」ですけど、もしもこれが強くなった理由があるとすればやはり介護のおかげじゃないかと思います。
いつどうなるのか?いつまで続くのか?いつまでこうしていられるのか?介護というのはそういう曖昧な出来事の日々の積み重ねで出来ています。
「ネガティブ」という単語が付いていますが、私は別にこれをネガティブだとは思っていません。いつでも次の態勢に対応できるだけの準備期間だと思っています。
あ、そうだ。巨大地震に対する準備と心構えみたいでもありますね(^_^;) 来て欲しくないけど、いつ来てもおかしくないし、一応準備はしておくか、みたいな?そういう心構えと行動はネガティブとは言いづらい気がします。少なくとも心構えは可能だと思います。(やってないけど。引越し自体がそれにあたります)
私自身、これまでに随分こういう事態にぶつかって来たと思うんですけど、「待つしかないな。しゃあないなあ」という感じで、決して後退はしてないですね。まあ、いつでも次の段階に移れる準備をしていくのは疲れますけど。
でも多分、少なくとも相手が人の場合はそういう曖昧さの中にいるのは嫌いじゃないなあ、と思います。
そもそも自分の気持ちも精神も常に揺れながらベストバランスを探しているから、静止している方が不安定な気がします。風が吹けば揺れるし、雨が降っても揺れるし。白黒はっきりしない、させない方が楽な場合も多いんだと思います。
何となく「ふわっとした感じ」って気持ちいいですよね。ネガティブとついていてもマイナスイメージがない不思議な状態だと思います。
往往にして、世界の美しさに気づく機会が多いのもそういう時です。ネガティブを楽しむと思ってもいいのかもね(^_^;)