当事者会について感じること
昨日Yukiさんのこの記事を読みました。
もしかすると私も非常に似たようなことを感じているかもしれない、と思いました。
当事者会=自助グループというのがあります。同じ病気の人が情報交換や交流するグループ(という理解でいいのかな?)です。特に精神疾患関係では多い形態ですね。
これは依存症などにはかなり効果的だと思います。依存を断つために、直接顔が見える人たちと励ましあうのはかなり力になりそうです。
ただ、私は以前からどうにもしっくりしないものを感じていました。あ、これはあくまでも双極性障害に関しての話です。
私が当事者会などにあまり関心がないのは、多分交流が広くなっても真の理解とは違うかもしれないと思うのと、自分とまったく同じ人はいないだろうということですね。それなら別に当事者にこだわる必要はないかも、と思うことからかな。
病気そのものの深い理解は求めすぎないことからかな。
Twitterで見ていても私と同じ症状の人は多分いないです。これは本当に千差万別。だから対処法も自分なりに工夫していくしかないですし。感じ方、考え方も違うしね。想像はつくけど、完璧な理解ではないですよね。それを求めるのは多分無理。
ただ、本当に大変そうだな、しんどそうだな、というわかりやすい点で理解してもらえるとありがたいです、それだけ。
当事者会経由で活用出来る制度の情報もあるし、あと必要なのは無理なく稼げる仕事の情報くらい?A型作業所とかじゃお話にならないし…(-_-;)
まあ、それで交流して慰められる人は利用してもいいと思うんですけど…、ブログなどで発信している人はあまりそういう場を利用されていないなあ、と感じています。
自分で自分を助ける感じ?
私は精神疾患持ちだけれども、それを孤独と思ったこと・考えて苦しく感じた経験はほぼない
— 東雲@なるべく前向きに生き隊員 (@sinonome34) June 1, 2019
人それぞれの考えはあるが、私はどんな人であれ、生まれてから死ぬまで人は孤独な生き物だと思っている
思いを共有できる瞬間は大切だが、自分の力を信じていれば孤独を楽しむことはできる。そうありたい
基本は同感。
自分らしくあろうとすると必然的に孤独にならざるを得ないのですが、それは病気でなくても同じなのであまり関係ないですね。楽な距離感で人と関わってゆければいいですね(^^)
どうして興味がないのか自分でも不思議だったんですが、普通に理解してくれる健康な友人とか、生き方そのものを見ていて励みになる羽生さんとか、そういう視野が拡がる方が私は力をもらえるな、と思いました。
多分そういう方もいらっしゃると思います(^_^;) 向き不向きはありますね(^_^;)
やたら病気のことだけ考えて生きていたくないし。好きなことしていたら忘れていられるし、別に病気だからってコンプレックス感じる必要もないし。人間みなさん生身だから、誰がいつ、どういう病気になってもおかしくないし。
そういうわけで、私は当事者会に行ってもたぶんやることがないなあ、と思います。ネットの世界も上手く使えればそういうグループのかわりになっている気もします。
私はブログもTwitterも本名でやっているくらいだから、あんまり裏表なく発信していると思います。
Twitterを匿名でやっていないから、うっかり攻撃的な言葉になるのもそこそこブレーキかけられるし。
(まあ、逆に言えば匿名だから炎上させちゃってる人も結構いると思います)
私にとってはこういうネットを介した発信と交流が当事者会の替りになってますね。しっかりと (^_^;)
ベッドや本棚がある生活では、和室でも昔からよくある、一部が板の間っていうのがあるといいなあ。箪笥置き場というか。
フローリングがベストなんですけどね。