暑さと気力消耗でダウン中です (ーー;)
全国的に暑いですね。北海道のあの気温は初めて見ました。地元の方にも初めてですよね?私が行った夏に地元の方にお聞きしたらエアコンのないご家庭も少なくなかったので、くれぐれも体調にはお気をつけください。
かく言う私ものびておりますが (ーー;)
なんかもう、一度横になったら起きられないんですよね。モチベーションダダ下がり (ーー;)
来月初めに申し込む市営住宅は7月半ばに抽選なので、当選して入居可能になるのが8月下旬〜9月上旬なんですね。まだ先やなあ、と思ったら、余計に気力も抜けちゃってよくありません (ーー;)
なんとかネットオフに段ボールを頼んだので、集荷までにはちゃんと詰めないとなあ。でも昨日はまるまる片付け休みになりました。
自分は人並みに動けるとは決して思ってはいけないんですけどね (^_^;)
ジェットコースター人生
私は高2の夏に慢性盲腸から慢性膵炎になって、ついでにパニック障害にもなって、以後数年に及ぶ療養を余儀なくされました。もう45年くらい昔かな、ひょっとして (^_^;)
でも療養中に「まったくなにもしなかった」わけではなくて、学校の外の世界につながりと発展性を求めて行動してました。ネットの無い当時だからもっぱらやりとりは手紙がメインでしたが。
雑誌の文通欄をきっかけに絵や漫画が好きな同士を探しました。それをきっかけに以後40年来の親友にも出会ったし。
10代の後半は病気と共にとことん落ち込んでみた。人生の中であれほど自己嫌悪に陥ったこともないと思います。体調も悪かったし。あまりはっきりした記憶がないほどなので、相当辛かったんじゃないかと思うのです。でも支えてくれたのは家族と新しい友人達でした。
彼女たちはうちが京都だということもあって、京都や奈良に遊びに来るついでに我が家に寄って、数時間話したりお絵描きしたりして過したりしてくれた。パニック障害のために、出掛けられない私にはとても楽しくありがたい時間でした。
やがてみんなの影響で本が作りたくなって漫画も描きたくなった。でもそのための資金がない。
大学に行かないならせめて手に職をつけたいと洋裁を習った、5年間。作品である洋服は随分作ったが、これはあまりお金にならないと悟った。
だからパニックが起きてもなんとかなりそうな病院関係で働きたいと思ったり。通信講座で学んで医療事務の資格を取った。まあ、病院にいればなにかあっても助けてもらえると期待して、その実は安心感が欲しかったのでした。実際に勤務中は発作も起きなかったし。
そのご縁で小児科医院で働きました、5年間。そこで原稿描きながら印刷資金も貯めました。
体力なくて風邪ばかり引いて医療事務の仕事は辞めたけど、本は作れたし、創作活動をずっと続けていたことが評価されてデザイン会社にも勤めることが出来ました。
いつのまにかかなり普通じゃない寄り道してた
10代の後半から20代の前半。普通のルートから思いきり外れた道を選んでしまったが、実はここでもすごいいい勉強をしたと思っています。
たぶん大きな挫折だと思うけど、それを本人が挫折だと思っていないあたり (^_^;)
「恭子さんの職歴はいろいろあって面白いですね」と作業療法士さんに言われたけど、私の場合は職の方がどちらかというとおまけっぽい感じだったので (^_^;) そこそこ上手くやれる器用貧乏タイプだとも思うけど。
だけどいろいろなチャレンジでここにある斗宿の青春期の苦労はうまく越えられたんじゃないかと思っています。
斗宿が経験する、青年期に超えなければいけない壁というものは、学校になじめないとかいうことが生ぬるく感じてしまうほど、あまりに辛い経験をする。それは生死に関わるくらいのこと。
その壁を超えることによって、何があっても動じることのない鋼の精神を手に入れる。斗宿は安住宿で大器晩成型だから、年を重ねていくほどに幸福になれると言われている。ただ、人との関わりが重視される斗宿は、集団の中で能力を発揮し、自分自身を引き立ててもらえる環境に身を置かなければならない。
多分、記憶に残らないほどのいろんなこと。主に学校関係だと思う。いまだに学校は嫌いだし。いじめとかではありません。いじめに遭ったことはないです。
どっちかというと当時の(今でもあまり変わってなさそうだけど)学校のシステムに半端じゃない違和感のようなものがあったのは覚えてる。
でも他人は他人、自分は自分、と思うからこそクリア出来たんじゃないかと思います。価値観の多様化で。進学したいともそもそもあまり思っていなかったし。
いまだに大変と言えば大変だけど、私はいつも人に助けてもらっている感覚があります。生きてる人にも、もう肉体がない人にも。だからいろんなものを越えて行く意味っていうのがきっとあるんだよね。
振り返ると、挫折しても療養しても人生って無駄なことはひとつもないわ、と思います。
とことん下までいったらあとはまた上がるだけのジェットコースター的人生が双極性障害を暗示していて、結構面白く感じている (^_^;) だからポジティブ。ネガティブな自分は10代にきっちり置いてきました (^_^;) もう思い出す必要もないので思い出しません。
自己嫌悪も10代に置いてきたし。
願っても無理なことはどうしてもある
欲を言えばキリがないけど、行くたいところへ行ける、っていうのもすごく嬉しいことだよね。普通に元気な人なら当たり前のことかもしれないけど、やはり体力気力と経済面の余裕がないと実行出来ないし。
こういうのも出来なくなって初めてわかることかな。
私は若い頃はパニック障害だったので、自分の本を売りに行きたくても東京や大阪まで行けなかったんです。経済的にも無理でした。交通費の捻出が。
でもいまも大阪神戸まで行ける体力ないです。せいぜい京都市内までかな。でも帰宅すると疲れ果てます。いろんなことにどうしても限界があります。
それでも「家族と一緒」というと精神安定剤のおかげで国内はあちこち旅行しました。甥や姪たちと、両親と3人で、母と二人で。だからひときわ印象に残りました。幸せだと思いました。
こういうのも他人と比較しないという性分が得をしていると思います。
自分に可能な範囲で喜びを見つけていくこと、要するに「足るを知る」ことだと思います。
誰かと比較すると永遠に満たされないままなんですね。上には上があるから。でも誰もがみんな億万長者などになりたいわけじゃない。なっても途方に暮れるだけかもしれないし。
私には揺るがない目標があるから、それ以外のことでは結構妥協するというか諦めざるを得なくてもまあ、仕様がないか、と思えるので出来ないことに対してあまり不満がありません。
それが可能な状況の人に対しては、自分の楽しみは存分に楽しんで欲しいと思いますし(^^)
ありがたいことにSNSの世の中でリアルタイムに伝わる感動を配信してくださる方が多いのも嬉しいです(^^)
もしかするとネットの恩恵を最も受けているのは私のように行動に制限がある人間かもしれません(^_^;)
もはやライフライン以外の何物でもないですね(^_^;) ありがたいです(^^)
銀の滴降る降るまはりに、
金の滴降る降るまはりに。(アイヌ神謡集)