なにもかもが宙に浮いてる感じがする
昨日は不動産屋さんが来られると思って、バタバタと帰宅したのに、結局来られませんでした。薬局で送料払って送ってもらう手配をしたけど、無駄だった(>_<) 待ってればよかった。
かわりに来られたのはガス会社の人で、期限切れのガス漏れ警報器をはずしてもらいました。なにしろ「抽選」だからいつ当たるかはだれにもわからない、ということで、私も困るんですが。
自分が勉強して試験を受けてだったら、どれくらい出来たか、出来なかったか、とかわかるんですが、そうじゃないから。もどかしいですね。
まだ部屋の片付けは終わっていません。なんだか人の出入りが結構あって落ち着かない印象です。段ボールを追加で買ったので、届いたら残す本も詰めて行こうかな。
ネットオフに送るのももう一度くらいでいいかな。まだ頼んでないけど。
昔の漫画のネームを見つけた
えらいものを発掘してしまいました。昔描いた漫画のネーム。残ってた(^_^;) えーと、やっぱり40年近く前になるかもしれません。
こうしてみると真面目に漫画を描く過程を辿っていたのがよくわかります。当時はいろんなプロの漫画家さんによる「漫画の描き方」の本が出ていたし、そういうのにも一応目を通してました。
ネームの描き方は人それぞれで、○だけで描く人や、プロでもネームなしでいきなり原稿、という方もいらっしゃいます。
基礎になるかな、と思った映画や演劇のシナリオの本なども読んでたね。ネームを作る前にはセリフメインのシナリオの段階が存在します。
忘れもしないけど、さあ寝ようと思って横になった瞬間にわーっとクライマックスを始めとする一連のシーンが浮かんできて、その全セリフをメモしないと眠れず、ほとんど徹夜に近い状態になりましたが、あれも今振り返るとちょっとした躁状態みたいなものだったかも。
そうなるとキャラが勝手に動くので、うまくラストシーンまで持っていけるかどうかが勝負になります。でも正直、ちらっと「私って天才?」とか思ったこともあるわ(^_^;)
ネームが出来てから友人たちに読んでもらってわかりにくいところとか全体構成とか、感想とか聞かせてもらって少しずついい形になるまで修正を加えていきました。これはストーリーそのものの話かな。
絵の部分で、漫画がイラストと違うのは構図やポーズや視点が非常に変化するので(またそういうのが好きだったので)普通ではなかなか描かない構図やポーズを懸命に描くから、確実に腕が上がると感じられることですね。
我ながら「うわー、すごい構図」と思ったことが何度もありました。「これって視点が水中だよなあ」というところとか。鳥の視点になったり、舞台みたいな人の目の高さに近い視点ばかりじゃなくて、私の場合は無意識で視点が変化してました。
あと動きの早いシーンだと変形ゴマが増える傾向とかも。自分で観察していても面白かったです。
でも私は遅筆だから1作60~80P描くのに平気で1~2年くらいかかってたなあ。アマチュアだから可能な贅沢な時間の使い方でした。それで仕事して印刷費貯めて本を作るの(^_^;) 充実感半端なかったです。一番元気な時代だったかも…(^_^;)
今もね、結構断片的なシーンは浮かぶんですよね。でもそれを何年もかけて漫画にする気力がないのです。
「気力」最も大きな要因はそれで、気力が続かなくて出来ないことの方が圧倒的に多いのが現在です。凄い悔しいけど。
でも本当にやりたいことができてよかった、としみじみ思います。その時代を完全燃焼できたなあ、っていう満足感は強く残っています。
本が出来て届いた夜、ダンボールに積まれた自分の本の新しい紙とインクの匂いに包まれて眠るのは、人生で1、2と言える幸福の実感です。死ぬまで忘れない(^^) あれに並べられる幸せは好きな人と両想いになった時のことくらいじゃないのかな(^_^;)
作品=自分の本は苦労して生み出した「我が子」なんですよね(^^) だから本当に愛しています(^^)
いまはいまで、エネルギーは昔ほどないにしても、結構日々完全燃焼している感はあるので、多分いつ死んでも後悔しないと思います(^^)