気配の正体について
身体が熱を蓄えたままで、余計にしんどい。電気代を気にしながらそれでも我慢すると具合が悪くなるので、しばらくエアコンをつけています。
感覚としての気配(Wikipedia)
「視覚の外に誰か(何か)がいる」という感覚は誰しもが経験するが、頭頂葉または側頭葉にある「脅威や安全に関わる相手をとらえる感覚」の活性化によって発生すると考える研究者もいる。慣れない状況での独り歩きなどの不安な精神状態、薬物による意識の変容、統合失調症ではこの感覚が誘発されやすくなる。また、片頭痛やパーキンソン病などの脳神経の障害によって身体性のイメージが損なわれ、幻覚として気配が生じる場合がある。
気配は警戒の念を生じさせるが、気配に慣れた登山家などには孤独を癒す存在として感じられる場合もある。また、ウィリアム・ジェイムズによれば、超越的な何かを感じる気付きを与える場合もあるという。
片頭痛の一環で幻覚の気配って気付いたことないなあ…。
気配はわりと皮膚感覚に近いようにも思えます。たとえば隣で寝ていた家族とか、そういう記憶のままの蘇るから、目に見えなくても「誰」っていうのがわかるんですよね。家族なのか全然他人なのかもなぜかわかります。
特に家族の死後、あまり間が空かないうちは結構頻繁に感じます。もともとうちの母は「お母さんは存在感がある人だから」と言われてたくらいなので、存在感のような気配があっても不思議ではありません。もう寝てないです (^_^;)
あちこち挨拶しているのかもしれません (^_^;)
父の気配もやはり死の直後は頻繁に感じていましたが、いまはもうほとんどありませんね。双方が慣れたんじゃないかなあ。
弔問客
母の弔問の時にきてくれたお向かいの娘さんTちゃん(私は赤ちゃんの時から知ってる、既婚で二児の母)が天井を見上げて「あれ?あれってまだ貼ってある」「そうなんよ。高くて手が届かんからはがせへん」父の介護の名残ですね。
「そういやあのとき生まれたRちゃんていくつになった?」「もう10歳」…その時もすでに介護に入って何年目だから、かなり長いこと介護をしてますねえ… (*-д-)-з 足掛け12〜3年くらいはやってるね。これだけ間が開くと、なんとなく社会に戻りづらくなりますが、年齢的にも難しくなります。
もう若くないし、障害者だし…。正直前途多難かもしれないです (*-д-)-з
テキストとかによる性格診断
昨日見つけた診断をやってみました。主にTwitterの記事をもとにその人の性格を診断しようというもの。
私はブログの文章でもやってみたけど、少しは違っても全然違い過ぎることはありませんでした。まあ、ブログだとテーマごとに変化がありますしね。
で、私のTwitterの記事の文章はこういうことになるらしい。
うーん…、なんとなく当たっている気がする。
○投資関連書籍を読む
○スポーツ・ジムの会員である
これは生涯自由にしかやりたくないですね〜 (^_^;) 興味ないし。
はい、知的好奇心はしっかりあると思います。